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区連(くれん[1][2] / おうれん、生没年不詳)は、チャンパ王国林邑国中国語版)の建国者。『梁書』では区達(くたつ[1]ベトナム語: Khu Đạt / 區達)、『水経注』が引く『林邑記』では区逵(おうき[3]ベトナム語: Khu Quỳ / 區逵)とする。また、後漢永和2年(137年)に日南郡で乱を起こし、九真太守祝良中国語版に鎮圧されたと記される区憐(くりん[4]ベトナム語: Khu Liên / 區憐)を同一人物とする説もある。

区連
中国語
中国語 チー・リエン
繁体字 區連
簡体字 区连
ベトナム語
ベトナム語 クー・リエン
クオック・グー Khu Liên
チュノム 區連

生涯編集

元は日南郡象林県中国語版の功曹(『梁書』『南史』による。『晋書』『林邑記』『隋書』『唐会要』では功曹の子とする)であったが、初平3年(192年)に県令を殺して自立し、林邑王を称した[1][2]。子がなかったため外甥(『梁書』『隋書』『南史』『唐会要』による。『晋書』『林邑記』では外孫とする)にあたる范熊が王位を襲った(『隋書』による。『晋書』『梁書』『南史』『林邑記』『唐会要』など史料によっては、数代の後に区連の血統が絶えて范熊が王となったとする)。

東南アジア最古のサンスクリット[5]であるヴォー・カイン碑文英語版に見られるシュリー・マーラサンスクリット語: श्री मारा, ラテン文字転写: Śrī Māra)を区連に比定する説がある[6]が、ルイ・フィノー英語版の研究によると[7]、シュリー・マーラは扶南国王の范蔓中国語版であるとしている[8]

中国学者のロルフ・スタン英語版は、「区連」はkrumないしはprumの音訳であり、崑崙などと同源であると主張する。しかし、後漢末の嶺南には区星中国語版区景中国語版といった区姓中国語版の人物が頻出しており、「区」は純粋にである可能性がある。他にも「区連」はカリンガの転訛であるとする説がある[9]

出典編集

  1. ^ a b c 桜井由躬雄、「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、61頁。 
  2. ^ a b 「ベトナムの拡張」 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』、50頁。 
  3. ^ 林邑(りんゆう)』 - コトバンク
  4. ^ チャンパ』 - コトバンク
  5. ^ レイ・タン・コイ, p. 27
  6. ^ Sharma, p. 107
  7. ^ Cœdès, p. 40
  8. ^ Cœdès, p. 43
  9. ^ 中華百科全書 林邑”. 中国文化大学. 2017年10月9日閲覧。(繁体字中国語)

参考資料編集

  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681. 
  • Geetesh Sharma (2010). Traces of Indian Culture in Vietnam. Rajkamal Prakashan. ISBN 978-8190540148. 
  • 『東南アジア史 I 大陸部』石井米雄桜井由躬雄編、山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。ISBN 978-4634413504
  • 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』桐山昇栗原浩英根本敬編、有斐閣〈世界に出会う各国=地域史〉、2003年9月30日。ISBN 978-4641121928
  • レイ・タン・コイベトナム語版『東南アジア史』石澤良昭訳、白水社文庫クセジュ〉、2000年4月30日、増補新版。ISBN 978-4560058268
  • 後漢書』巻八十六 南蛮西南夷列伝第七十六
  • 晋書』巻九十七 列伝第六十七 林邑
  • 梁書』巻五十四 列伝第四十八 林邑国
  • 隋書』巻八十二 列伝第四十七 南蛮
  • 南史』巻七十八 列伝第六十八 林邑国
  • 大越史記全書』外紀巻之三 属東漢紀
  • 大南正編列伝初集』巻三十三 外国列伝三 占城
  • 水経注』巻三十六 鬱水
  • 唐会要』巻九十八 林邑国
先代:
(独立)
チャンパ王
第1王朝初代:
192年 - ?
次代:
范熊?