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千屋牛(ちやうし、ちやぎゅう)は、岡山県新見市千屋地区で育てられている黒毛和種、およびその精肉(ブランド牛)である。

概要編集

千屋牛は小規模生産のため出荷頭数も少ない。千屋ダムには、碁盤に乗る千屋牛ブロンズがあるが、これは地元の伝統芸能「千屋牛の碁盤乗り」である。千屋牛は訓練次第でこういった芸能もこなす。千屋の古い民家の多くでは、家の中に牛舎がある造りになっている(現在は、防疫上の理由等により牛舎は別棟になっている)。「牛も家族であり、家族なら一緒に寝起きするのは当然」との考え方が伺える。

定義編集

千屋牛の定義は千屋牛振興会で定める生産出荷基準のもとで生産・肥育された黒毛和種であり、生産出荷基準は「 新見市内で繁殖・肥育一貫生産されたもの。又は岡山県下で生産された子牛を導入し、新見市内で約 18 カ月間以上肥育されたもの」[1]である。

特徴編集

千屋牛は「日本最古の蔓牛」と言われており、羽部義孝博士(全国和牛登録協会初代会長)は自身の著書『蔓の造成とつる牛』の中で、千屋牛の祖先にあたる“竹の谷蔓は、その(つる牛の)なかでも最古のものといわれている”と語っている。

蔓牛編集

主に中国山地周辺で品種改良された日本の牛で、特性が固定化され優良な形質を持ち、その遺伝力が強い牛の系統を蔓(つる)、その牛を蔓牛(つるうし)と呼ぶ。和牛は古くから近畿、中国地方において飼われており、農耕,運搬,採肥のために家畜として使役されていた。中でも中国山脈山間地では近世のころから優良形質の維持、改良、固定に努力が払われ、その中でとくに優良な系統をといい、その個体を蔓牛と称した。蔓牛は他の牛に比べて2~3割高く売買されたと伝えられる。

竹の谷蔓編集

1772年~1780年のころ、備中国阿賀郡釜村字竹の谷(現岡山県新見市神郷)の浪花(難波)元助(初代)やその息子の栄右衛門が造成、確立した和牛のである。岡山県新見市で生産されている千屋牛はこの系統に属しており、この蔓は隣県の鳥取県日野郡に広がり、島根県仁多郡にも伝わったとされる。この蔓は現存しており、体が締まり肉質は赤身が多く改良前の和牛の特徴を残しているが、飼育頭数が減少し十数頭が残るのみとなっている。[2]

歴史編集

千屋牛は、江戸時代備中国阿賀郡実村(現・新見市千屋)で盛んであった鉄山業で労役牛として使われていた。千屋地区は冷涼で降雨量が比較的多く、牛の飼育に適している土地であった為、古くから牛の生産が盛んであった。千屋牛は元来小型で少産の牛であったが、千屋村の豪農太田辰五郎(1802~1855:岡山県立図書館デジタル大百科では1790-1854)らにより、但馬産の優れた種牡牛を導入するなど、当時としては革新的な改良技術が行われ品種改良されていった。そして、太田辰五郎は1834年天保5年)に千屋牛馬市を開設し管内で生産された優れた牛の販売を始めた。現在でも、肉用牛生産は、地域の重要な産業である。

PR活動編集

千屋牛の認知度向上を目的として、千屋牛娘☆(ちやぎゅうむすめ)と呼ばれる女性ダンスユニットが結成された[3](活動は2014年7月~2015年12月まで)。千屋牛娘が歌う千屋牛PRソング「We Love 千屋牛」と言う楽曲も存在する。2017年10月14日のJAあしん祭りにて千屋牛娘が1日限りの復活をする。[4]

料理編集

  • 焼肉
  • すき焼き
  • ステーキ
  • 牛丼
  • 千屋牛ラーメン
  • 千屋牛バーガー

脚注編集

関連項目編集

参考文献編集

  • 羽部義孝 『蔓の造成とつる牛』(和牛叢書 第1輯) 産業圖書 1948年
  • 全国和牛登録協会 『新・和牛百科図説 第6回全国和牛能力共進会記念出版』 公益社団法人全国和牛登録協会 2002年
  • 井上良 『岡山和牛活性化への道 竹の谷蔓牛のふるさと神郷町和牛からの考察』 神郷町 2003年
  • 全国和牛登録協会 『これからの和牛の育種と改良 改訂版 第9回全国和牛能力共進会記念出版』 公益社団法人全国和牛登録協会 2007年
  • 村上進通 『吉備国 和牛のふるさとものがたり -伝統を生かす 人を生かす 地域を生かす-』 山陽新聞社 2016年 ISBN 978-4-88197-748-4
  • 増田淳子 『和牛の力 血統を守る、伝える』 農林統計協会 2016年 ISBN 978-4-541-04118-0

外部リンク編集