南杭瀬村

日本の岐阜県安八郡にあった村

南杭瀬村(みなみくいせむら)は、かつて岐阜県安八郡に存在したである。

みなみくいせむら
南杭瀬村
廃止日 1934年12月5日
廃止理由 編入
南杭瀬村 → 大垣市
現在の自治体 大垣市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
安八郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 3.78 km2.
隣接自治体 大垣市安八郡安井村洲本村多芸島村不破郡静里村綾里村
南杭瀬村役場
所在地 岐阜県安八郡南杭瀬村
座標 北緯35度19分52秒 東経136度36分37秒 / 北緯35.33111度 東経136.61025度 / 35.33111; 136.61025座標: 北緯35度19分52秒 東経136度36分37秒 / 北緯35.33111度 東経136.61025度 / 35.33111; 136.61025
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現在の大垣市中南部に該当する。

村名は杭瀬川に由来する。杭瀬川と水門川に挟まれた地域である。

田園地帯であるが、大垣市に編入後、地下水が豊富なことから化学工場が多く進出している。

沿革

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  • 江戸時代、一帯は大垣藩領であった。
  • 1872年明治5年) - 安八郡今村と今村入方が合併し、今村となる。
  • 1874年(明治7年) -
    • 安八郡割田村が分立し、割田村と外野村となる。
    • 外花村から外渕新田が分離し、外渕村に編入される。
  • 1880年(明治13年) - 安八郡今村の一部(旧・今村入方)が、世安村[1]として分立する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 安八郡今村[2]、割田村、外野村、外花村、友江村、及び不破郡青柳村と若森村[3]が合併し、南杭瀬村となる。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 南杭瀬村の一部(旧・友江村)が分離し、多芸島村、上笠村などと合併。多芸島村となる。
  • 1934年昭和9年)12月5日 - 大垣市へ編入される。

交通

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学校

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  • 学校組合立多芸島尋常高等小学校 (多芸島村に設置された多芸島村と南杭瀬村の学校組合立の学校。現・大垣市立日新小学校

脚注

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  1. ^ 1889年に合併で大垣町の一部となる。
  2. ^ 宇北裏、村東は大垣町の合併に参加
  3. ^ 若森村のうち、宇石田、勝沼分、町浦、北田分、堤外の一部、井川上河原畑の一部は大垣町の合併に参加。

関連項目

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