南雄州(なんゆうしゅう)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の広東省南雄市一帯に設置された。

広東省の南雄州の位置(1820年))

概要

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920年乾亨4年)、南漢により韶州湞昌始興の2県を分割して設置された雄州を前身とする。

971年開宝4年)、河北路に別の雄州があったことから、北宋により広東の雄州は南雄州と改称された。1120年宣和2年)、保昌郡の郡号を受けた。南雄州は広南東路に属し、保昌・始興の2県を管轄した[1]

1278年至元15年)、により南雄州は南雄路総管府と改められた。南雄路は江西等処行中書省に属し、保昌・始興の2県を管轄した[2]

1368年洪武元年)、により南雄路は南雄府と改められた。南雄府は広東省に属し、保昌・始興の2県を管轄した[3]

1806年嘉慶11年)、により南雄府は南雄直隷州に降格され、保昌県が廃止された。1811年(嘉慶16年)、南雄直隷州は南雄府にもどされた。1812年(嘉慶17年)、再び南雄府は南雄直隷州に降格された。南雄直隷州は広東省に属し、始興県1県を管轄した[4]

1912年中華民国により南雄直隷州は廃止され、南雄県と改められた。

脚注

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  1. ^ 宋史』地理志六
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志六
  4. ^ 清史稿』地理志十九