厳教寺

福井県福井市上森田にある浄土真宗本願寺派の寺院

厳教寺(ごんきょうじ)は、福井県福井市上森田[1]にある浄土真宗本願寺派寺院である。本尊は阿弥陀如来である。

来迎堂厳教寺
厳教寺
所在地 福井県福井市上森田14-23
位置 北緯36度6分48.8秒 東経136度14分7.3秒 / 北緯36.113556度 東経136.235361度 / 36.113556; 136.235361座標: 北緯36度6分48.8秒 東経136度14分7.3秒 / 北緯36.113556度 東経136.235361度 / 36.113556; 136.235361
山号 来迎堂
宗旨 浄土真宗天台宗
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
開基 道順
正式名 来迎堂厳教寺
別称 来迎堂教覚院(天台宗時代の名称)
法人番号 4210005001217 ウィキデータを編集
厳教寺の位置(福井県内)
厳教寺
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歴史 編集

1539年天文8年)、朝倉敏景の孫敏行は、吉田郡上野村(福井市上野町)の天台宗来迎堂教覚院の住職道全に帰依し、「道順」と号した。1541年、師道全亡き後、道順が後を継いで同院の住職となった。しかし念仏のみ教えに深く感銘を受けた道順は、翌年本願寺に帰依し、教覚院を浄土真宗の道場とした。よって道順がこの寺の開基となる。

1574年天正2年)、織田信長越前を攻め、多くの寺を焼き払った。道順は、この時のご本尊である弥陀三尊仏(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩)を自ら背負い、岩谷村(丸岡町山竹田)の岩穴に安置し、暫くその地に留まり難を逃れた。

その後、称念寺(丸岡町長崎)に身を寄せ、そこで「講」を結び、念仏のご法義を相続して行き、1581年(天正9年)には、再び道場を復興するに至った。

260年余り後、第9代住職善学の「夢告」によって、岩穴で痛々しく変わり果てた「三尊仏」が発見された。現在も宝物として、本堂内陣に安置されている。

1601年慶長5年)、第2代住職道興の時、教覚院を改めて、本願寺より「厳教寺」の寺号を賜った。

また今日の本尊「阿弥陀如来御木像」は、第5代住職道光の時より安置されている。

脚注 編集