双六古墳
双六古墳(そうろくこふん)は、長崎県壱岐市勝本町立石東触にある古墳。形状は前方後円墳。壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。出土品は国の重要文化財に指定されている。
双六古墳 | |
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墳丘(左に前方部、右奥に後円部) | |
所属 | 壱岐古墳群 |
所在地 | 長崎県壱岐市勝本町立石東触81 |
位置 | 北緯33度47分54.30秒 東経129度42分13.35秒 / 北緯33.7984167度 東経129.7037083度座標: 北緯33度47分54.30秒 東経129度42分13.35秒 / 北緯33.7984167度 東経129.7037083度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長91m 高さ10.6m |
埋葬施設 | 横穴式石室(2室) |
出土品 | 金製品・銀製品・金銅製品ほか副葬品多数 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「壱岐古墳群」に包含 |
有形文化財 | 出土品(国の重要文化財) |
特記事項 | 長崎県第1位の規模 |
地図 |
概要
編集壱岐島中央部の丘陵上に築造された古墳である。1981年(昭和56年)に松永泰彦による石室測量が、1992年(平成4年)に長崎県教育委員会による墳丘・石室の実測調査が、1997年-2000年(平成9-12年)に旧勝本町による本格的な発掘調査がなされている[3]。
墳丘
編集墳丘は前方後円形で、2段築成である[3]。規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:91メートル
- 後円部:直径43メートル、高さ10.6メートル
- くびれ部:幅24メートル
- 前方部:長さ55メートル、幅36メートル、高さ5メートル
埋葬施設
編集埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、玄室・前室の2室と羨道で構成され、南西方に開口する[3]。江戸時代にはすでに石室は開口し、『甲子夜話』『壱岐名勝図誌』に記述がある[4]。石室の規模は次の通り[3]。
- 石室全長:11メートル[2]
- 玄室:長さ3.5メートル、幅2.58メートル、高さ4.28メートル
- 前室:長さ6.28メートル、幅1.8メートル、高さ1.68メートル
- 羨道:長さ1.28メートル、幅1.28メートル、高さ1.7メートル
玄室には朱塗痕があるほか、玄室床面には全面に凝灰岩製の敷石が敷かれたと見られる[3]。また、石室壁に船形の線刻画も見られる。
出土品
編集出土品としては、玄室からは須恵器・土師器・鉄製品・ガラス玉・二彩片・金糸などが、前室からは金銅製圭頭大刀把頭・把元・八窓鐔・雲珠・杏葉・金銅製冠・須恵器・土師器・ガラス玉などが、羨道からは金銅製鈴・鉄鏃・銀象嵌鐔・馬具・土師器・短刀などが、開口部からは新羅土器が見つかっている[3]。これらのうち、馬具装飾には高い技術水準が指摘されるほか、大陸産・新羅産の遺物は当時の海外交渉を伝えるものとして重要視される[5]。これらの遺物は「長崎県双六古墳出土品」として国の重要文化財に指定されている[5]。
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開口部
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石室内部
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集関連施設
編集- 壱岐市立一支国博物館(壱岐市芦辺町深江鶴亀触) - 双六古墳の出土品を保管。
脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 地方自治体発行
- 『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。
- 事典類
- 「双六古墳」『長崎県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系43〉、2001年。ISBN 4582490433。
- 「田川肇」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『県内古墳詳細分布調査報告書 -県内古墳の墳丘・石室の資料化に伴う報告書-』長崎県教育委員会〈長崎県文化財調査報告書第106集〉、1992年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『双六古墳』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第7集〉、2006年。
- 『壱岐の島の古墳群 -現状調査-』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。
外部リンク
編集- 壱岐古墳群 - 長崎県ホームページ「長崎県の文化財」