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古田 重定(ふるた しげさだ)は、室町時代末期から安土桃山時代にかけての武将古田重然(織部)の父。

 
古田重定
時代 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 慶長3年8月19日1598年9月19日[1]
改名 重正
別名 勘阿弥、主膳(通称
官位 従五位下、
主君 織田信長豊臣秀吉
氏族 古田氏
父母 父:古田吉左衛門
母:不詳
兄弟 古田重安古田重定
不詳
重然、重則、重続
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生涯編集

古田氏は、美濃国本巣郡山口城主で、土岐氏斎藤道三に仕えていた。はじめは重定と名乗り、後に出家して茶坊主の勘阿弥として、織田信長に仕えた。

信長が本能寺の変で横死すると、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、還俗して主膳重正と改称して、3千石の武士に取り立てられた。

子の重然に茶道を伝授させて、後に重然は千利休高弟のひとりとなった。

慶長3年8月1598年9月)に秀吉が伏見城で没すると、重定(重正)は秀吉の後を追い切腹して殉死した。子の重然が跡を継いだ。

脚注編集

  1. ^ 諏訪勝則『古田織部 美の革命を起こした武家茶人』〈中公新書〉、2016年、12頁。

参照文献編集

  • 樋口清之丹羽基二『姓氏』秋田書店、1970年7月31日。ISBN 4-253-00209-9
  • 矢部良明『古田織部-桃山文化を演出する』角川書店角川叢書〉、1999年7月25日。ISBN 978-4-04-702108-2ISBN 4-04-702108-3