右院(ういん)は、明治初期の行政機関。1871年9月13日(明治4年7月29日)太政官三院制導入により正院・左院と共に設けられた。1875年(明治8年)元老院設置にともない廃止。
従来の二官六省制でそれぞれの省庁の意見が対立した反省に基づき、各省庁の政策の連絡調整を担う機関として設けられた。各省の長官である卿と次官である大輔で構成されている。右院の決定事項は正院の裁決事項として位置づけられるなど、正院に比してその権限は弱かった。また大蔵省の権限は省庁の中でも突出していたため、しばしば右院の機能不全の原因となった。
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