吉安 豊英(よしやす とよひで)は、戦国時代武将大内氏家臣である冷泉氏の一門。

 
吉安豊英
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
改名 冷泉豊英、吉安豊英
別名 刑部
主君 冷泉興豊隆豊元豊
氏族 多々良姓大内流冷泉氏庶流吉安氏
父母 冷泉興豊
兄弟 冷泉隆豊豊英
満定
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出自 編集

豊英が生まれた冷泉氏本姓多々良氏であり、大内氏の支流である。父・冷泉興豊が母方の冷泉家の家号を称して冷泉氏を名乗った。

生涯 編集

大内氏家臣である冷泉興豊の子として誕生。豊英は名字を「吉安」へと改め、冷泉氏の当主に代々仕えた。

天文20年(1551年9月1日大寧寺の変において大内義隆に最期まで付き従った兄・隆豊が戦死。豊英は隆豊の嫡男である五郎(後の冷泉元豊)と次男の四郎(後の冷泉元満)を連れて安芸国国人平賀氏の前当主であった平賀弘保の許へと逃亡した。

その後、難を逃れた元豊は弘治元年(1555年)から始まる毛利元就防長経略の際に毛利氏に仕え始めた。豊英のその後の動向は不明だが、豊英の後は嫡男・満定が継いだ。

脚注 編集

参考文献 編集