吉富 璣一(よしとみ きいち、明治4年11月10日(1871年12月21日) - 昭和4年(1929年)4月11日)は、日本の実業家。
山口県吉敷郡山口町生まれ[1][2]。1895年高等商業学校(現一橋大学)卒業[1][3]。1911年に三井物産を退社し[4]、北海電化工業社長[1]、東京金物商会社長[3]、日魯漁業取締役[1]、長州鉄道監査役[3]、相模鉄道監査役などを務めた[5]。
妻は吉敷郡会議員を務めた山内唯五郎の妹[6][3]。浅野順一青山学院大学名誉教授は甥[7][3]。
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