吉岡 忠雄(よしおか ただお、1923年[1] - 1997年4月18日[2])は、日本のジャーナリスト

経歴 編集

佐賀県に生まれる[2]1941年福岡県中学修猷館[3]旧制福岡高等学校[4]を経て、東京大学文学部を卒業[2]

1950年毎日新聞社に入社。社会部記者、ソウル(1964~1966年)、ニューデリー(1967~1968年)、モスクワ(1968~1972年)の各特派員などを経て、毎日新聞論説委員となり[1]、コラム「余録」を執筆している[4]。毎日新聞社を退職後、山形新聞論説委員を務める[1]

1982年2月退職。同年4月韓国ソウルに渡り、12月まで延世大学校附属韓国語学堂で韓国語を学ぶ。1986年から1988年にかけて、韓国の東義大学校で講師を務めた[2]

著書 編集

  • 『ソウル・ラプソディ』(草風館、1985/10/01)
  • 『韓国有情 釜山のアルバム』(亜州、1991/07/15)

脚注 編集

  1. ^ a b c 吉岡忠雄『ソウル・ラプソディ』(草風館、1985年)著者プロフィール
  2. ^ a b c d 『ジャーナリスト人名事典 戦後~現代編』(日外アソシエーツ、2014年)312頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員47頁
  4. ^ a b 永守良孝「吉岡忠雄さんを偲ぶ 悲哀の人」現代コリア 第371号(現代コリア研究所、1997年)48-49頁