吉岡忠雄
日本のジャーナリスト
経歴
編集佐賀県に生まれる[2]。1941年福岡県中学修猷館[3]、旧制福岡高等学校[4]を経て、東京大学文学部を卒業[2]。
1950年毎日新聞社に入社。社会部記者、ソウル(1964~1966年)、ニューデリー(1967~1968年)、モスクワ(1968~1972年)の各特派員などを経て、毎日新聞論説委員となり[1]、コラム「余録」を執筆している[4]。毎日新聞社を退職後、山形新聞論説委員を務める[1]。
1982年2月退職。同年4月韓国ソウルに渡り、12月まで延世大学校附属韓国語学堂で韓国語を学ぶ。1986年から1988年にかけて、韓国の東義大学校で講師を務めた[2]。
著書
編集- 『ソウル・ラプソディ』(草風館、1985/10/01)
- 『韓国有情 釜山のアルバム』(亜州、1991/07/15)