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同慶(どうけい、ドンカイン・Ðồng Khánh)は、ベトナム阮朝同慶帝の治世で使用された元号1885年 - 1888年

目次

改元編集

1885年7月4日咸宜元年5月22日)、咸宜帝の檄に端を発した抗仏勤王大反乱で帝がフエ王宮を脱出した後、フランスに擁立された同慶帝は咸宜帝を尊重して帰順を促し、元号も越年改元の予定で公布した。しかし地方の抗仏勢力をバックにした咸宜帝は従わなかったため、咸宜元号の使用に対する違和感が強まり、やむなく旧暦の10月から12月までを同慶乙酉年と称し、1886年から元年とした。

西暦・他元号との対照表編集

同慶 乙酉年 元年 2年 3年
西暦 1885年 1886年 1887年 1888年
干支 乙酉 丙戌 丁亥 戊子
皇紀 2545年 2546年 2547年 2548年
光緒11年 光緒12年 光緒13年 光緒14年
日本元号 明治18年 明治19年 明治20年 明治21年

出典編集

『大南寔録』正編第六紀巻之一 景宗純皇帝寔録 第八丁 
(咸宜元年秋八月)丁丑、帝即皇帝位于太和殿、以明年丙戌為同慶元年。
『大南寔録』正編第六紀巻之一 景宗純皇帝寔録 第三十四-三十五丁 
(咸宜元年九月癸亥)準以是年十月朔以後、改著為同慶乙酉年辰。奉慈裕太皇太后懿旨、皇帝即位已逾二月、仍著咸宜年號、致人心尚存疑惑、擬應明著同慶年號、以定民心、勿待來年為也。廷臣遵議逾年改元禮之正也。惟事有常變、不可以一例拘。本年五月日逆臣惹釁乘輿、播遷臣民、無所係屬。八月日奉慈裕太皇太后降諭、迎我皇上入繼大統、經奉諭準咸宜帝如有回期襲封公爵、以承堅國公之祀。誠見仁至義盡君臣至分已明。非如父傳子繼兄亡弟及者。比此次、臣等恭擬晉光恩詔、以來年丙戌為同慶元年、而本年仍著咸宜年號、覺來有所未週、致中外聽聞尚存疑惑。請改擬自本年十月朔以後著同慶乙酉年、俟來年丙戌另遵前諭著同慶元年、以心視聽而一人心。 帝準將懿旨及廷片通録中外。

参考文献編集

  • 『大南寔録』(慶應義塾大学言語文化研究所刊行影印本)

関連項目編集

  • 同慶(別君主の「同慶」)


前の元号:
咸宜
'ベトナムの元号
同慶'
次の元号:
成泰