名和無理助
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。(2023年1月) |
名和 無理助(なわ むりのすけ、生年不詳 - 天正3年(1575年))は、戦国時代の武将。武田氏家臣。武田信玄・勝頼に仕え、長篠の戦いで討死した。
略歴
編集上野国那波郡の国衆那波氏の出身とされる。無鉄砲なことを好んだことから、無理之助と自分でつけたという。天正3年(1575年)長篠の戦いで70騎を率いたが鳶巣山で戦死 [1][2]。
参考文献
編集- 『武田武士の系譜』(新人物往来社 、1972年、80p)
- 『日本史蹟大系: 第10巻』(平凡社、1936年、4130p)
- 『岳南史第3巻』(岳南史刊行会、1932年、220p)
脚注
編集- ^ 平凡社 1936, p. 4130.
- ^ 岳南史刊行会 1932, p. 220.