土屋岩保
土屋 岩保(つちや いわほ、1874年(明治7年)4月16日[1] – 1928年(昭和3年)8月22日[2])は、日本の衆議院議員(新正倶楽部)。内科医。
経歴
編集山梨県東八代郡祝村(現在の甲州市)で土屋順周の次男として生まれる[1][3]。1901年(明治34年)、東京帝国大学医科大学を卒業し、同大学の助手となった[1]。1907年(明治40年)より1909年(明治42年)までドイツに留学し、ハレ大学、ベルリン大学で学んだ[1]。1911年(明治44年)、医学博士号を授与[1]。同年、侍医に任命され、皇太子(後の大正天皇)の診察にあたった。
1921年(大正10年)、侍医を辞して医院を開業し、その傍ら日本住血吸虫症の研究にあたった[1]。その後、赤坂区医師会長を務めた[2]。
親族
編集住所:赤坂区赤坂田町6ノ6
脚注
編集- ^ a b c d e f 大日本博士録 pp.128-129 1922.
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ 人事興信録データベース
- ^ 『官報』第184号、昭和2年8月9日。
参考文献
編集- 井関九郎『大日本博士録 第二巻』発展社、1922年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。