土岐光衡
土岐氏初代
土岐 光衡(とき みつひら)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・鎌倉幕府御家人。伯耆守源光長の三男。美濃源氏の嫡流・土岐氏の祖。
時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 平治元年(1159年) |
死没 | 元久3年3月25日(1206年5月4日) |
別名 |
土岐三郎(『吾妻鏡』) 土岐左衛門蔵人(『尊卑分脈』) |
官位 | 従五位下、蔵人、左衛門尉 |
主君 | 源頼朝→頼家 |
氏族 | 土岐氏 |
父母 |
父:源光長 母:宣能卿女白川局 養父:源光基 |
兄弟 | 国長、光経、光衡 |
子 | 土岐光行、浅野光時 |
略歴
編集治承・寿永の乱で討死した源光長の末子であったが、伯父・光基の養子となり土岐氏の嫡惣を継承した[1]。
平家滅亡後は鎌倉幕府の御家人となり、建久4年(1193年)に源頼朝が富士の巻狩に出掛けた際、これに随行した「土岐三郎」は光衡を指すものと推定されている(『吾妻鏡』同年5月10日条)[2]。
美濃国土岐郡の一日市場館を本拠として「土岐」を号したとされることから、実質的な土岐氏の祖とされる場合が多い。
そして天徳寺を氏寺、光善寺を土岐氏の菩提寺として天台宗の寺院を開基したとされる。
系図類では2子が確認され、土岐氏は、光信から始まり、嫡惣は長子・光行に継承させている。
全国に浅野家(広島)・浅野家(赤穂)=千葉、土岐頼忠→水野→神野城の神野家(現在は奈良県)として散らばっている。
脚注
編集参考文献
編集- 横山, 住雄『美濃土岐氏―平安から戦国を駆け抜けた本宗家の戦い』戎光祥出版株式会社、2024年4月10日。ISBN 978-4-86403-504-0。