源光経

平安時代後期の武将。源光長の次男。検非違使・左衛門尉。子に源光房(八条院蔵人)-光氏

源 光経(みなもと の みつつね)は、平安時代後期の武将源光長の次男。兄弟に国長土岐光衡があり、子に光房八条院蔵人)、光助出羽守)がある。

 
源光経
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 寿永2年11月19日1184年1月3日
氏族 美濃源氏
父母 父:源光長
兄弟 国長光経土岐光衡
光房長沢光助
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略歴

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美濃源氏土岐氏の棟梁であった父と共に在京し、検非違使左衛門尉を務めたとされる(『尊卑分脈』)が、寿永2年(1184年)の法住寺合戦で父が後白河院方に加わったため光経もこれに従い、死闘の末に父と共に討ち取られ梟首された[1]

次男・光助の子孫は越中国婦負郡長沢に居住して、長沢氏と称して、戦国時代には長沢光国などを輩出しているとされる[2]

脚注

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  1. ^ 久保 1983, p. 209.
  2. ^ 久保 1983, p. 210.

参考文献

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  • 久保, 尚文「婦中の中世」『婦中町史 通史編』婦中町、1996年、202-245頁。