土師 犬養(はじ の いぬかい、生没年不詳)は、奈良時代官人宿禰周防介土師祖麻呂の子。官位従五位下散位香椎廟奉幣使

経歴 編集

聖武朝天平13年(741年)4月の写一切経司主典従七位下として自署している。

孝謙朝天平勝宝9歳(757年聖武上皇の一周忌に、一族の土師乙勝とともに正六位上から従五位下に叙せられた。淳仁朝天平宝字6年(762年新羅征伐のための軍隊を訓練するという目的で、参議藤原巨勢麻呂とともに香椎廟奉幣使となっている(この時の官職散位)。

官歴 編集

注記のないものは『続日本紀』による

系譜 編集

  • 父:土師祖麻呂[2]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:大枝菅麻呂[2]
    • 男子:大枝万麻呂[2]

脚注 編集

  1. ^ 『大日本古文書』巻1,585頁
  2. ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流(宝賀[1986: 1011])

参考文献 編集

関連項目 編集