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堀 通周(ほり みちちか、慶安3年(1650年) - 元禄7年5月11日1694年6月3日))は、常陸国玉取藩第3代藩主。旗本天方倶通の長男。母は三枝守恵の娘。正室は堀利長の娘。子は娘(諏訪頼秋正室)。

万治元年(1658年)、先代藩主の利長が病に倒れると、急遽その三女を正室に迎えて婿養子となる。同年、利長の死去に伴い玉取藩1万2千石を相続した。延宝4年4月(グレゴリオ暦1676年5月)に一ノ矢八坂神社本殿の造営を行った[1][2]

ところが延宝7年12月11日1680年1月12日)、通周は突如錯乱して家臣を斬りつける。通周は隠居を命ぜられたものの、子がいなかったために改易処分となった。後に実弟の堀利雄を養子に迎えた上で、3千石の交代寄合として家名存続が許された。

脚注編集

  1. ^ 佐野 1980, p. 41.
  2. ^ 滝田・桑畑 1994, p. 6.

参考文献編集

  • 佐野春介『大穂町の昔ばなし』筑波書林〈ふるさと文庫〉、1980年9月15日、76頁。全国書誌番号:81024355
  • 滝田丕・桑畑朝海『便覧 つくば市の神社仏閣と文化財』、1994年5月1日、110頁。