塩古墳群(しおこふんぐん)は、埼玉県熊谷市塩にある古墳群である。1960年(昭和35年)3月1日に第1支群(狸地域)の古墳が県の史跡に指定された[1]

塩古墳群
第1支群2号墳。後方部から前方部を望む。
所在地 埼玉県熊谷市塩328ほか
位置 北緯36度06分01.7秒 東経139度18分59.0秒 / 北緯36.100472度 東経139.316389度 / 36.100472; 139.316389座標: 北緯36度06分01.7秒 東経139度18分59.0秒 / 北緯36.100472度 東経139.316389度 / 36.100472; 139.316389
規模 前方後方墳2基、方墳26基、円墳8基
築造時期 4世紀中頃-後半、6世紀後半(塩西原18号墳)
史跡 1960年(昭和35年)3月21日県指定
有形文化財 塩西原18号墳出土遺物
1998年(平成10年)2月10日市指定
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塩古墳群の位置(埼玉県内)
塩古墳群
塩古墳群
埼玉県内の位置
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概要

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古墳時代前期を中心とする古墳群で、7つの支群により構成され、前方後方墳2基、方墳26基、円墳8基からなる。第3支群の西隣に嵐山町古里古墳群がある。第4・5・7支群は滑川を挟んで嵐山の陣屋古墳群と対峙している。1992年(平成4年)には前方後方墳2基を含む地域が史跡に追加指定されている。1993年(平成5年)に行われた調査で指定地域内に前方後方墳・方墳あわせて23基の古墳が存在することが明らかになった。

主な古墳

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  • 第1支群1号墳(狸塚1号墳)
    支群中最大の前方後方墳で古墳群のほぼ中央に位置している。墳長35.3メートル、後方部辺長20メートル、高さ4.2メートル、前方部幅11.7メートル、高さ1.2メートル。焼成前底部穿孔のある壺形土器出土。4世紀前半の築造。
  • 第1支群2号墳(狸塚2号墳)
    1号墳のすぐ南西に位置する前方後方墳。墳長30.1メートル、後方部辺長20.1メートル、前方部幅11.4メートル。墳丘と周溝から有段口縁壺、鉢出土。
  • 第7支群18号墳(塩西原18号墳)
    径22メートル・高さ2.4メートルの古墳時代後期(6世紀)の円墳で[2]、幅2.1メートルの周溝が巡る。主体部は、砂岩の切石を積み上げた複室構造の横穴式石室で、全長5.7メートル・幅1メートルである。副葬品は、玄室から耳環1、銅釧3、管玉2、琥珀玉5、土製丸玉2、大刀2、銀装大刀1、銀装圭頭大刀1、銅製鵐目1、刀子2、弓金具1、鉄鏃30以上、鉄地金金銅張雲珠1、鉄地金金銅張辻金具2、鉄地金金銅張帯金具2、鉄製鞖金具2が出土している。また前庭部から須恵器・土師器群が発掘されている。これらの遺物は1998年(平成10年)2月10日付けで市指定有形文化財に指定された[3]

脚注

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  1. ^ 熊谷市立江南文化財センター. “塩古墳群”. 熊谷デジタルミュージアム. 2020年5月24日閲覧。
  2. ^ 熊谷市立江南文化財センター. “塩西原18号墳”. 熊谷デジタルミュージアム. 2020年5月24日閲覧。
  3. ^ 熊谷市立江南文化財センター. “塩西原18号古墳出土遺物”. 熊谷デジタルミュージアム. 2020年5月24日閲覧。

参考文献

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  • 塩野, 博『埼玉の古墳・大里』さきたま出版会、2004年9月1日、407-435頁。ISBN 4878913843 

関連項目

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外部リンク

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