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増島 徳(ますじま とく、1886年1月29日 - 1965年6月21日)は、日本の医師政治家

奥富村(現・狭山市)出身。1909年、日本医学校(現日本医科大学)を卒業[1]1920年、飯能町(現・飯能市)に病院を創設した。戦後、飯能町議会議員に当選、公約の学校給食の実施を行った。1949年細田栄蔵に替わり町長に就任したが、元加治分村問題を受け、1952年に辞任した。

1958年、飯能市長選に出馬したが、現職の町田右之亮に敗れた。1962年、飯能市長に無投票当選。公約の下水道と終末処理場の建設を行った。在職中の1965年6月21日に79歳で急死した。

作りとの栽培でも知られる。

脚注編集

  1. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、733頁。

参考文献編集

  • 『飯能人物誌』飯能人物誌編さん委員会、1970年、128-129頁。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。