多治比 屋主(たじひ の やぬし)は、奈良時代貴族歌人官位正五位下左大舎人頭

 
多治比屋主
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下左大舎人頭
主君 聖武天皇
氏族 多治比氏
乙麻呂[1]
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経歴

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神亀元年(724年聖武天皇即位後まもなく従五位下叙爵し、天平年間に大蔵少輔を務めた[1]。またこの間、天平12年(740年)聖武天皇の関東[2]行幸に従うが、伊勢国一志郡の関宮(河口頓宮)より平城京に帰還している[3]

長く従五位下の位階に留まるが、天平17年(745年)従五位上、天平20年(748年正五位下と聖武朝末に続けて昇叙される一方、備前守・左大舎人頭を務めた。

歌人として『万葉集』に2首の和歌作品が採録されている[3][1]。『万葉集』では丹比屋主と記されるが、関東行幸従駕の際に詠んだ和歌の中にある「四泥の崎」(伊勢国朝明郡[3]が川口頓宮より先の行程であることから、和歌の作者を多治比家主に比定する説もある[4]

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ a b c d 『万葉集』巻8-1442
  2. ^ 伊勢国・美濃国以東のこと。
  3. ^ a b c 『万葉集』巻6-1031
  4. ^ 『万葉集古義』

参考文献

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