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多賀神社(たがじんじゃ)は、東京都八王子市元本郷町にある神社である。

多賀神社
Taga jinja 2019a3.jpg
拝殿
(2019年8月10日撮影)
所在地 東京都八王子市元本郷町四丁目9番21号
位置 北緯35度39分49.94秒
東経139度18分47.12秒
座標: 北緯35度39分49.94秒 東経139度18分47.12秒
主祭神 伊弉諾尊
伊弉冉尊
社格 旧郷社
創建 938年(天慶元年)
例祭 例大祭(8月第一 金・土・日曜日)
地図
多賀神社の位置(東京都区部および多摩地域内)
多賀神社
多賀神社
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由緒編集

多賀神社は、938年(天慶元年)、武蔵介に任ぜられ、武蔵国に赴任した源経基が、国土豊穣、万世安穏を祈願する為、近江国多賀大社から分祀し、現在地に勧請したと伝えられている。その後、1260年(文応元年)、幕府の権力者である北条時頼が国内巡行の折、この地で病に倒れたため、この多賀神社に古鏡一面を奉納して祈願したところ、病が治癒したことから、社領七反歩が寄進され、祈願所としたと伝えられている[1][2]

御祭神は国土創造の神である伊弉諾尊伊弉冉尊の二神を主祭神として祀っている。伊弉諾尊と伊弉冉尊は、夫婦神として我が国初めての神様で、伊勢神宮御祭神の天照大神を産んだ神であり、良縁成就、子孫繁栄のほか、家内安全、健康長寿、病気平癒などの神徳がある。また、伊弉諾尊はお祓いの神としても知られている[1][2]

『 八王子案内 』 多賀神社

元本郷にあり、人皇六十一代朱雀天皇の御宇、四品兵部卿貞純親王の皇子、六孫王経基。天慶元年三月、武蔵介に任を蒙り、其四月武蔵国埼玉郡、箕輪城に到り、給ひしが、比時に當りて、 先づ任国内を一巡せばやと思立せられ、適々多摩の群なる。府中の駅に泊し給ひ、夫より西武甲の国境に近づき、四方を眺望あらせ給う程に、人戸甚だ希少にして、草葬の原野のみなりき。 経基王心中に思へらく、土地肥えたりと雖も、人民少なれば、国家開けず。願くば黎民の繁茂して国土の豊安ならむ事をと、遂に一宇の祠を建させ給ひ、国土開闢、黎庶多生の神徳有らせ給ふ。伊弉諾伊弉冉の二尊を勧請し給いて、蒼生の茂育し、土地の開け行かん事を祈誓し給う。今の八王子町元本郷に祀れる多賀神社是なり。(後略)

— 島村愛次郎編『八王子案内』明治44年1月1日より抜粋[1]

全国の多賀神社(七十八社)のなかの旧郷社四社のうちの一社であり、新撰組甲陽鎮撫隊)の解散の地としても知られており、境内にある樹齢400年余の大銀杏御神木や、八王子まつりでの宮神輿「千貫神輿」の渡御で知られている[2]

西八王子地区の鎮守は、「多賀神社」で、東八王子地区の鎮守は、「八幡八雲神社」である。多賀神社の祭りを「上の祭り」、八幡八雲神社の祭りを「下の祭り」という。いずれの祭りも山車の巡行、辻合わせなどを行う。上下の祭りは、もともとは別々に行われていた祭りであったが、現在では市民祭りである「八王子まつり」に合わせて、上下の祭りが同日に行われ、山車巡航が八王子まつりのメインイベントとなっている[2]

歴史編集

  • 1882年(明治15年) - 神社大神輿を購入
  • 1893年(明治26年) - 郷社に昇格
  • 1900年(明治33年) - 第二小学校裏の参道に一の鳥居を建立
  • 1921年(大正10年) - 神社の鳥居を建立
  • 1928年(昭和3年) - 昭和大典記念例大祭を執行
  • 1933年(昭和8年) - 皇太子誕生記念の神楽殿を建立
  • 1940年(昭和15年) - 紀元2600年記念大祭を執行
  • 1944年(昭和19年) - 戦争激化で例大祭中止(昭和21年復活)
  • 1945年(昭和20年) - 八王子空襲で神社境内・周辺は戦火を免れたが、第二小学校裏の一の鳥居倒壊
  • 1951年(昭和26年) - 拝殿・幣殿屋根を改修
  • 1954年(昭和29年) - 宗教法人となり東京都神社庁に参加
  • 1959年(昭和34年) - 多賀神社社額が市有形文化財に指定[3][4]
  • 1976年(昭和51年) - 大関若三杉(第56代横綱若乃花)元旦参拝
  • 1977年(昭和52年) - 神社大神輿の昭和大修理が完工[5][6]
  • 1977年(昭和52年) - 神社大神輿が市有形文化財に指定[5]
  • 1978年(昭和53年) - 例大祭で神社大神輿が70年ぶりに甲州街道で拝舁
  • 1979年(昭和54年) - 本殿補修、機守神社補修
  • 2009年(平成21年) - 祓所を建て替え
  • 2009年(平成21年) - 本社幣殿改修、機守神社補修
  • 2013年(平成25年) - 本殿改修工事
  • 2015年(平成27年) - 神札所・祈祷待合所を建立[2]

祭神編集

本殿[1][7]
  • 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
  • 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
機守神社社殿[8]
  • 天棚機姫尊(あめのたなばたひめのみこと)
日枝神社[8]
  • 大山咋神(おおやまくいのかみ)
第六天神社社殿[8]
  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  • 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
  • 豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
  • 泥土煮尊(ういじにのみこと)
  • 沙土煮尊(すいじにのみこと)
  • 大戸之道尊(おおとのじのみこと)
  • 大苫辺尊(おおとまべのみこと)
  • 面足尊 (おもだるのみこと)
  • 惶根尊 (かしこねのみこと)

社殿編集

  • 本殿 - 2013年(平成25年)改修、彫刻の復元・再塗装・飾り金具の新調等
  • 機守神社社殿 - 1937年(昭和12年)改築、棟梁:森上勝三郎、昭和53年屋根の銅板葺替
  • 日枝神社・第六天神社社殿
  • 神楽殿 - 旧神楽殿を八王子日吉神社に譲渡、1933年(昭和8年)建立、棟梁:森上馬吉
  • 祓所 - 2009年(平成21年)建立、棟梁:森上秀男
  • 神札所・祈祷待合所 - 2015年(平成27年)建立、神札所棟梁:森上秀男、祈祷待合所施工:戸田工務店
  • 鳥居 - 東側正門
  • 手水舎 - 1966年(昭和41年)9月、台風26号により倒壊、復旧工事の際、棟木に「大工谷飛騨正平惟貞」の墨書銘を確認、江戸末期の建物と推測される
  • 御神木 - 樹齢400年の大銀杏
  • 御神輿 - 1882年(明治15年)、江戸時代に舁がれていた六角大神輿に代わって、東京浅草で建造された、通称「千貫神輿」として知られている[5][6]
  • 倉庫 - 神輿(多賀神社神輿)倉、山車(八幡町一・二丁目山車、山車人形神武天皇)倉
  • 駐車場 - 南門にあり[7]

文化財編集

市有形民俗文化財
  • 社額 - 「多賀神社扁額」、 1866年(慶応2年)、ケヤキ製、縦81.0センチメートル、横52.0センチメートルの扁額で、裏面に刻まれた文字から、1866年(慶應2年)、第二次長州出兵による将軍供奉で大坂に滞在した千人同心組頭の三人が現地で作らせ、多賀神社(元本郷町)に奉納した。昭和34年2月26日指定[3][4]
市指定有形文化財
  • 宮神輿 - 「多賀神社神輿(三輪御所車を含む)」、1882年(明治15年)、東京浅草で建造、総重量3トン、高さ2.5メートル、通称「千貫神輿」、昭和52年11月5日指定
  • 山車 - 「八幡町一・二丁目山車」、1918年(大正7年)、建造の旧一丁目の山車で、工匠は萩原左文治、彫工は佐藤光重、昭和45年7月23日指定
  • 山車人形 - 「神武天皇」、1887年(明治20年)、三代目原舟月作、昭和45年7月23日指定

祭事編集

  • 1月 - 歳旦祭・元旦祭(1月1日) 
  • 2月 - 節分祭(2月3日)
  • 7月 - 末社五社大祭(7月7日)
  • 8月 - 例大祭・神幸祭(8月第1金、土、日曜日)
  • 11月 - 七五三祝請祭(11月15日)
  • 12月 - 大祓式・除夜祭(12月31日)[9]
例祭
  • 月次祭(1日、15日)[9]

交通編集

参考文献編集

  • 二宮真彦編『一府九県連合共進会手引草:一名 八王子案内』八王子:文華堂、「多賀神社」、全74頁、46頁、1899年(明32年)10月 、国立国会図書館蔵書[10]
  • 島村愛次郎編『八王子案内』熊澤文華堂、森田万花堂、「多賀神社」、全134頁、40-41頁、1911年(明治44年)1月1日、国立国会図書館蔵書[1]
  • 多賀神社社務所編『多賀神社史』多賀村 (滋賀県) 多賀神社、1933年(昭和8年)、全208頁、図版23枚(133頁)、国立国会図書館蔵書
  • 武蔵野文化協会『武蔵野』武蔵野会、「八王子多賀神社 - 神輿修理の実際 相原悅夫」、13-21頁、1978年(昭和53年)5月、国立国立国会図書館蔵書
  • 相原悦夫編著『武州八王子多賀神社誌』八王子 多賀神社社務所、1981年(昭和56年)4月、全53頁、多賀神社略年表(45~47頁)、主要参考文献(52頁)、国立国会図書館蔵書

脚注編集

外部リンク編集