大井 貞隆(おおい さだたか)は、戦国時代武将信濃国小県郡長窪城[1]主。

 
大井貞隆
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 刑部大輔
氏族 小笠原氏大井氏
父母 父:大井忠孝、養父:大井忠重
兄弟 忠重、忠次貞隆平賀玄信貞清
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出自編集

大井氏は信濃の国人信濃源氏小笠原氏の庶流。貞隆の系統は傍流である岩村田大井氏。

略歴編集

岩村田大井氏の一族長窪氏を継いで長窪城主となる。明応2年(1493年)兄・忠重の養子となり、本家の岩村田大井氏を継承した。

信濃諏訪郡諏訪氏や、諏訪氏と同盟関係にある甲斐国甲斐武田氏と敵対し、天文9年(1540年)、諏訪頼重に長窪城を奪われる。

天文10年(1541年)、武田晴信が武田氏の当主となると武田氏と諏訪氏は手切となり、翌年(1542年)に武田氏は諏訪侵攻を行い頼重は滅ぼされるが、貞隆はこれに乗じて長窪城を奪回した。諏訪領を確保した武田氏はさらに信濃侵攻を本格化させ、天文12年(1543年)9月には小県郡へ侵攻し、同17日には長窪城を攻囲し、貞隆は抗戦するが家臣の相木昌朝芦田信守の内応にあい長窪城は開城、自身も捕えられ甲府へ連行される(『高白斎記』)。また、貞隆に加勢した信濃佐久郡の望月氏も成敗されている。

岩村田大井氏は弟の貞清が継承し、貞清は佐久郡内山城において抵抗し、天文15年(1546年)に内山城は落城している。

脚注編集

  1. ^ 長野県長和町

出典編集