大恩院

関兼貞/兼員の三女、大政所の妹

大恩院(だいおんいん、生年不詳 - 天正13年(1585年))は、戦国時代の女性。青木一矩の母親[1]

略歴

編集

関兼貞の三女とされ、豊臣秀吉にとっては母方の叔母に当たる [1]青木重矩に嫁ぎ一男青木一矩をもうけた。

浄土宗大恩寺(左京区東大路)は天正13年(1585年)、秀吉が叔母の大恩院を弔うために二条室町に建てたものである[2]

天正13年(1585年)死去。法名 大恩院日陽慶春。

参考文献

編集
  • 『キャラ絵で学ぶ!徳川家康図鑑』(すばる舎、2022年、107p)
  • 『広島県史: 藩と藩政』(広島県、1973年、4p)

脚注

編集
  1. ^ a b すばる舎 2022, p. 107.
  2. ^ 大恩寺の沿革”. 大恩寺. 2023年1月12日閲覧。