大明暦(だいめいれき)は、中国暦の一つで、南朝宋祖沖之(そちゅうし)によって編纂された太陰太陽暦暦法。南朝宋の大明六年(462年)に完成し、その死後、南朝梁によって官暦に採用され、南朝梁の天監九年(510年)から南朝陳の末年、禎明三年(589年)までの80年間、使用された。

閏月法の改正

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祖沖之は、従来の19年7閏月章法では200年に1日の遅れがでるとして、これを改め、391年に144の閏月を置く破章法を採用した。これにより、1太陽年365+9589/39491(≒365.24281[1])日、1朔望月29+2090/3939(≒29.530592[2])日とした。これは南宋慶元五年(1199年)に施行された統天暦以前としては最も精確な数値であった。

歳差の導入

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中国では東晋咸和五年(330年)に虞喜が歳差を発見していたが、大明暦によって歳差が暦の計算に導入された。ただし、45年11か月に1度、冬至点が動くと考えており、その数値は過大なものだった(実際は約70.7年に1度)。

交点月の計算

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はじめて交点月の日数を求めて暦に導入した。1交点月を27.21223日とし、祖沖之は、これに基づいて元嘉十三年(436年)から大明三年(459年)に四度現れた月食の時刻を推算し、実際の観測データと合致していることが確かめられた。

脚注

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  1. ^ 365+9589/39491”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
  2. ^ 29+2090/3939”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。