大炊御門経頼
戦国時代から江戸時代初期の公卿。従二位・権大納言。
大炊御門 経頼(おおいのみかど つねより)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿。権大納言・中山孝親の子。官位は従二位・権大納言。主に正親町天皇(106代)・後陽成天皇(107代)に仕えた。大炊御門家17代。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 弘治元年(1555年) |
死没 | 元和3年7月18日(1617年8月19日) |
官位 | 従二位、権大納言 |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇 |
氏族 | 中山家→大炊御門家 |
父母 | 父:中山孝親、母:五辻諸仲の娘 |
兄弟 | 中山親綱、甘露寺熙長、経頼 |
妻 | 継室:吉良義康の娘 |
子 | 頼国、経孝 |
経歴
編集大炊御門経名が薨去した後、断絶していた大炊御門家を相続し17代当主となる。
永禄4年(1561年)に叙爵。以降累進して天正3年(1575年)に従三位となり公卿に列する。天正9年(1581年)に従二位・権大納言となる。天正13年(1585年)まで務め、天正16年(1588年)に再任した。慶長13年(1608年)には神宮伝奏に任じられている。