大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月20日[1] - 没年不明)は、大正昭和時代の大相撲力士峰崎部屋片男波部屋伊勢ノ海部屋花籠部屋所属[2]。本名は木越 信哉[1]。最高位は十両2枚目[1]

経歴

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秋田県北秋田郡田代町(現大館市)出身。1920年5月初土俵を踏む[2]1925年1月十両に昇進[2]番付を上げ、1926年1月には西十両2枚目まで進んだが、この場所で負け越してからは番付を下げ、1927年1月に幕下に落ちた。1927年10月再十両、この場所と翌場所も負け越し、再び幕下に落ちた。1928年5月に十両復帰。連続6場所務めた後、1930年1月幕下に落ち、同年10月に廃業した[2]

甥は伊勢ヶ濱部屋の元十両力士の大矢崎武男[3]

脚注

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  1. ^ a b c 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、161頁。
  2. ^ a b c d 『昭和の大相撲 資料編』 307頁。
  3. ^ 大相撲』1963年11月号65頁。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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外部リンク

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