大繡(だいしゅう)は、647年から664年まで日本で用いられた冠位である。上から数えて3番目で、小織の下、小繡の上にあたる。

解説 編集

大化3年(647年)に制定された冠位十三階の制で設けられた。規定によれば、大繡・小繡の冠は繡で作り、繡で縁どり、金銀で作った鈿で飾った。大織から小繍までは、深紫色の服を着用した[1]

大繍になった人物としては、斉明天皇4年(658年)1月13日に死んだ巨勢徳多がいる[2]

天智天皇3年(664年)2月9日に大縫と改称して廃止になった[3]

脚注 編集

  1. ^ 『日本書紀』大化3年(647年)是年条。
  2. ^ 死亡記事は『日本書紀』斉明天皇4年1月13日条。巨勢徳多が大繡であったことは、『続日本紀』神亀元年(724年)6月6日条など、子孫の薨伝に見える。
  3. ^ 『日本書紀』天智天皇3年(664年)2月9日条。

関連項目 編集