大谷剛彦
日本の裁判官 (1947-)
大谷 剛彦(おおたに たけひこ、1947年(昭和22年)3月10日 - )は、日本の元裁判官。東京都出身。東京大学法学部卒業。最高裁判所事務総長、大阪高等裁判所長官、最高裁判所判事(2010年(平成22年)6月17日-2017年(平成29年)3月9日)を歴任。ジャーナリストの大谷昭宏は実兄。東大ではラグビー部に在籍していた[1]。最高裁判所判事には同じ大谷姓の大谷直人(第19代最高裁判所長官)がいるため、混同されやすいが縁戚関係は無い。
経歴
編集- 1970年(昭和45年):司法修習生(第24期)
- 1972年(昭和47年):東京地方裁判所判事補任官
- 1974年(昭和49年):最高裁判所総務局付
- 1976年(昭和51年):東京地方裁判所判事補
- 1977年(昭和52年):福島地方裁判所・福島家庭裁判所会津若松支部判事補
- 1980年(昭和55年):那覇地方裁判所・那覇家庭裁判所判事補
- 1982年(昭和57年):書記官研修所教官
- 1985年(昭和60年):東京地方裁判所判事
- 1987年(昭和62年):最高裁判所事務総局経理局主計課長
- 1991年(平成3年):最高裁判所事務総局経理局総務課長
- 1994年(平成6年):東京地方裁判所部総括判事
- 1997年(平成9年):東京高等裁判所事務局長
- 2002年(平成14年):最高裁判所事務総局経理局長
- 2006年(平成18年)1月:最高裁判所事務次長
- 同年6月:最高裁判所事務総長
- 2009年(平成21年)1月:大阪高等裁判所長官
- 2010年(平成22年)6月:最高裁判所判事[2]。
- 2012年(平成24年)12月16日:最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票4,633,074票、罷免を可とする率8.02%で信任[3]。
- 2017年(平成29年)3月:定年退官
- 2018年(平成30年)4月:旭日大綬章受章
主な判決等
編集- 2011年6月7日:広島連続保険金殺人事件において、死刑はやむを得ないとし、被告の上告を棄却。死刑が確定。
- 2011年6月21日:君が代起立訴訟において、起立命令は合憲とし原告の上告を棄却。
- 2011年10月25日:混合診療訴訟において、混合診療の禁止を適法とし原告の上告を棄却。
- 2011年11月21日:横浜弁護士殺害事件において、原告の上告を棄却。無期懲役が確定。
- 2011年12月19日:Winny事件において、Winny開発者の金子勇に対する著作権法違反幇助容疑に係る訴訟で、被告人に公衆送信権侵害の罪の幇助犯が成立しないとする多数意見に対し、同幇助犯が成立するとする反対意見を述べた[4]。大谷を除く裁判官の多数意見により検察官の上告は棄却され、金子の無罪が確定した。
- 2017年2月20日:米軍基地建設反対運動での逮捕者の長期勾留(4ヶ月)の保釈を求める特別抗告を棄却[5]。
脚注
編集- ^ 東京大学ラグビー部 OB紹介
- ^ 官房長官記者発表(平成22年5月14日(金)午前)、首相官邸。
- ^ 平成24年12月16日執行 衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報結果総務省
- ^ 裁判官大谷剛彦の反対意見、平成21(あ)1900 著作権法違反幇助被告事件(検察官の上告を棄却する決定)11-20ページ、2011年12月19日、最高裁判所第三小法廷
- ^ 拘留4カ月、山城議長の保釈を最高裁認めず 米軍基地建設反対運動中に逮捕 2017年2月27日 沖縄タイムス(yahooニュース)