大阪市電九条車庫
概要
編集1907年(明治40年)7月に着工し、1909年(明治42年)10月に、当時の大阪市西区九条南通3丁目(現在の大阪市西区九条南1丁目)に開設された。
大阪市電初の車庫である市岡車庫とは異なり、設備を整えた本格的な車庫で、その建物は4棟に分かれ、単車で優に160両が収容できるという大きさであった。
1909年(明治42年)、隣接する市電の車両工場を拡張するために、九条車庫を増築して既存の2棟を車両工場に転用したのに続き、1914年(大正3年)8月1日には、さらに1棟を増築し、最盛期の1919年(大正8年)頃には、単車で200両収容可能となった。
しかし、1920年(大正9年)に、新発電所建設のため九条車庫の3棟が立ち退くことになり、2棟を天王寺車庫へ、1棟を都島車庫へ、それぞれ移築した。
1921年(大正10年)10月に収容車両を新設の築港車庫と鶴町車庫に移動し、廃止された。跡地は、大阪市交通局の本局(現在の大阪市高速電気軌道本社)、および京セラドーム大阪の敷地の一部になっている。