大 集成(だい しゅうせい、? - 1236年)は、靺鞨族出身の高麗武臣渤海国滅亡後、高麗帰化していた。モンゴルの高麗侵攻の回避、および武臣政権の執権者崔瑀の政権維持に役割を果たした[1]

大 集成
各種表記
日本語読み: だい しゅうせい
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人物編集

1218年崔忠献は、武臣政権の安定策として、武臣の歓心を買うため、大集成などを借将軍(散職の将軍)に昇進させた。その後、大集成は、武臣政権の執権者崔瑀との結びつきから権勢を伸ばし、1232年に大集成の娘が崔瑀の後妻に迎えられ、外戚の地位につく[1]。『世宗実録地理志』黄海道条には、牛峯県亡姓として崔氏および大氏を記しており、崔氏および大氏の本来の出身地は牛峯県であり、大集成の栄達は、崔忠献と同郷という背景があり、崔瑀の威勢に依付した[1]

崔瑀の後継者である崔沆は、政権掌握過程における金敉との対立に際し、継母大氏(大集成の娘)が金敉を支援したことを怨み、1250年1251年に、継母大氏(大集成の娘)および族党に大弾圧を加え、大集成の族党を全羅道へと流配させた[1]

脚注編集

  1. ^ a b c d 北村秀人 『高麗時代の渤海系民管見』大修館書店月刊しにか〉、1998年9月、71-75頁。