太閤出世餅(たいこうしゅっせもち)は、安土桃山時代から三重県伊勢市で製造販売されている銘菓

有限会社太閤餅
種類 特例有限会社
本社所在地 日本の旗 日本
516-0024
三重県伊勢市宇治今在家町63
北緯34度27分35.2秒 東経136度43分20.9秒 / 北緯34.459778度 東経136.722472度 / 34.459778; 136.722472座標: 北緯34度27分35.2秒 東経136度43分20.9秒 / 北緯34.459778度 東経136.722472度 / 34.459778; 136.722472
業種 食料品
法人番号 3190002009010 ウィキデータを編集
事業内容 和菓子製造販売
外部リンク http://taikou-mochi.com/menu.html
テンプレートを表示
太閤出世餅

概要 編集

略して太閤餅とも言う[1]

太閤出世餅を生産販売する有限会社太閤餅は、三重県伊勢市宇治今在家町63に本店を置く、安土桃山時代永禄8年(1565年)創業の企業である[2]

由来 編集

太閤出世餅の名称の由来には諸説があるが、豊臣秀吉伊勢神宮へ参詣時に、伊勢国国司北畠氏古市に設けた長嶺茶屋に立ち寄った際、焼餅を献じたところ、「美味也」と賞賛した故に、太閤餅と名付けたと『神都長嶺記』に記されている。販売店の公式サイトではこの説を採用している[3]。神都長嶺記は寛政8年(1796年)に伊勢神宮の宮掌(神主)大内人秦定賢が、当時の人々の生活や文化及び故事来歴等を記した古文書である。

秀吉自らが店で出された餅菓子を焼いて食べたという説を紹介するものもある[1][2]。この説によれば、主人のお供として度々伊勢を訪れていた秀吉が2本の竹で巧みに餅を焼いて見せ、参宮客の前で面白おかしく見せびらかして食べたのが始まりだという[1]太鼓のような焼き餅であることにちなむ説もある[4]。『宇治山田市史』では「太鼓説」が最も有力とする[5]。また、同書では遊客のお供に来た幇間(たいこもち)を待遇する際に供したから、という説も紹介する[6]

特徴 編集

当初は、粒餡入りの三日月型の焼餅であったが、江戸時代に縁起をかついで丸型となった。同じ伊勢市内で生産販売されるへんば餅と同じく、丸型で焼き目が両面に付いた餅である[4]。『宇治山田市史』では「大きさ二三寸程の煎餅の様に薄い餅」と記す[7]

もち米佐賀県産、小豆北海道十勝産のものを使用している[2]。材料を厳選するとともに、当日の気温湿度によって焼き加減を調節して販売する[2]

地元の伊勢では七五三参りの男児が買い求め[2]初詣子ども向けの土産として定着している[4]

脚注 編集

  1. ^ a b c 亀井 2016, p. 182.
  2. ^ a b c d e 近畿日本ツーリスト出版センター 2005, p. 53.
  3. ^ 由来”. 有限会社太閤餅. 2018年3月8日閲覧。
  4. ^ a b c 堀田 1998, p. 71.
  5. ^ 宇治山田市役所 編 1929, p. 925.
  6. ^ 宇治山田市役所 編 1929, pp. 924–925.
  7. ^ 宇治山田市役所 編 1929, p. 924.

参考文献 編集

  • 亀井千歩子『47都道府県和菓子/郷土菓子百科』丸善出版、2016年1月25日。ISBN 978-4-621-08975-0 
  • 堀田千津子「三重県における名物餅」『日本食生活学会誌』第9巻第2号、日本食生活学会誌、1998年、67-72頁、NAID 130003846345 
  • 宇治山田市役所 編 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、1929年1月20日、862頁。 全国書誌番号:54006369
  • 『'05-'06 伊勢 鳥羽 志摩 松阪』近畿日本ツーリスト出版センター〈ツーリスト情報版255〉、2005年3月31日、167頁。ISBN 4-87638-755-9 

関連項目 編集

外部リンク 編集