奥田 千春(おくだ ちはる、慶応4年8月1日1868年9月16日[1][2] - 1949年昭和24年)6月18日[1][2])は、明治から昭和時代前期の日本政治家旭川市長。

経歴・人物

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伊勢国(現・三重県)に生まれる[1][2]大蔵省から逓信省に転じ、1893年(明治26年)旭川郵便電信局長となる[1][2]。鉄道敷設運動に尽力し、上川郡旭川町長を経て、市制施行後の1929年(昭和4年)より旭川市長を務めた[1][2]。市内の電話網の構築などに尽力した[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『奥田千春』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『奥田 千春』 - コトバンク
  3. ^ 狩野 1967, 99-102頁.

参考文献

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  • 狩野, 陽 (1967), “奥田三郎教授について”, 北海道大學教育學部紀要 (北海道大學教育學部) 13: 35, NAID 120000971756, https://hdl.handle.net/2115/29031