女体山古墳
群馬県太田市にある古墳
女体山古墳(にょたいさんこふん)は、群馬県太田市内ケ島町にある帆立貝形古墳(または造り出し付き円墳)。国の史跡に指定されている。
女体山古墳 | |
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女体山古墳 | |
所在地 | 群馬県太田市内ケ島町 |
位置 | 北緯36度17分30.7秒 東経139度23分39.6秒 / 北緯36.291861度 東経139.394333度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 |
墳丘長106m 高さ7m |
埋葬施設 | (推定)竪穴式石室 |
出土品 | 円筒埴輪・形象埴輪 |
築造時期 | 5世紀中頃 |
史跡 | 国の史跡「女体山古墳」 |
特記事項 | 帆立貝形古墳では全国第3位/関東地方第1位の規模 |
古墳名称の「女体山」は、隣接する「男体山古墳」(太田天神山古墳の別名)に対するものである。
概要
編集- 墳丘全長106m[1]、全長140m
- 後円部径84m、高さ7m
- 造り出し部幅18m、高さ1m
標高40mの台地上に立地する。帆立貝形古墳としては、宮崎県西都市の男狭穂塚古墳(墳長175m)、奈良県北葛城郡河合町の乙女山古墳(墳長129m)と並び全国3位、関東では最大の規模を誇る。
昭和2年(1927年)に国の史跡に指定された。発掘調査は行われていないが、主体部は竪穴系と推定され、円筒埴輪や形象埴輪(盾)が採取されている[2]。
配置や主軸方向などから、当古墳と、隣接する太田天神山古墳とは密接な関係があると考えられる。両古墳とも晋尺(1尺 = 24センチ)の25尺を単位として設計されており、一連の計画に基づく築造と思われるが、当古墳は太田天神山古墳にわずかに先行して5世紀中葉に築造されたと考えられている。[3]
令和元(2020)年、墳丘下草約1400平方メートルを焼失する火災が発生。出火原因を調査している。