十一月甲戌、始めて女医の博士を置く。[1]
とあり、養老5年11月1日勅で設置が指示され[2]、この時に実員を置いている。律令の規定によると、女医は女性であって、毎月医博士が、年度末に内薬司が試験して、7年以内に修了させることになっていたが[3]、女医の養成専任の医博士は置かれてはいなかった。
『類聚三代格』の寛平8年10月5日に内薬司を典薬寮に併合したときの太政官符によると、中務省内薬司に定員1名、相当位は医博士と同じく正七位下である[4][5]。
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