竇皇后 (漢文帝)

孝文竇皇后から転送)

竇 皇后(とうこうごう、? - 紀元前135年)は、前漢文帝皇后。兄に竇長君。弟に竇広国(竇少君)。子は景帝・梁王劉武。娘は館陶公主劉嫖。名は不詳だが、猗房またはという説もある。清河郡観津の人。

竇皇后
前漢の皇后
在位 紀元前179年 - 紀元前157年

全名 竇猗房(竇猗)
死去 建元六年(紀元前135年
埋葬 覇陵
配偶者 文帝
子女 景帝、劉武、劉嫖
竇長君
竇広国
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生涯編集

元は呂雉の侍女であり、竇姫と呼ばれた。呂雉より他の四人とともに代王劉恒に下賜した。 代国に到着した竇姫が劉桓の寵愛を独占し、二男一女を産んだ。

紀元前180年に呂雉が死去すると、劉恒が新皇帝として擁立されることとなった。文帝の嫡出の皇子4人が早世したため、紀元前179年に竇姫所生の劉啓(後の景帝)を皇太子に立てた。やがて竇姫も皇后となった。竇氏の兄弟2人は幼い頃から竇皇后と離れて奴隷にされた。弟の少君は後に観津の竇氏は皇后となったことを知り、皇后が自分の姉であると思った少君は竇皇后に手紙を送っている。竇皇后は驚き、少君を召し出して詳細を聞く。少君は「姉と駅で別れた時、姉は米のとぎ汁で頭を洗ってくれまし、私にご飯を食べさせてから出かけたのです」言い終わると竇皇后は泣いて弟の手を握った。

晩年に失明して寵愛も衰えていった。文帝の寵愛は慎夫人・尹姫に移っていった。

紀元前157年に文帝が崩じて景帝の即位に伴って皇太后となった。竇太后は末子の梁王劉武を偏愛し、下賜は莫大であった。また梁王を後継者にしようと考えた。そのため景帝は次第に梁王を疎んじるようとなった。後に劉武は死去し、皇太后は号泣して食事を取らず、「皇帝がわが子を殺したのだ」と言った。景帝もどうしたらいいかわからなかったが、長女の館陶長公主の計により竇太后の悲しみは癒え、食事を再開した。

紀元前141年に景帝が崩じて孫の武帝が即位すると、太皇太后となった。即位当初の武帝が幼少のため、竇太皇太后が実権を握っていた。黄老思想を好んだという。生きている間に儒生が重用されることはない。

建元六年(紀元前135年)に崩御し、文帝と共に覇陵へ合葬された。館陶長公主がその資産の大部分を継承した。

参考文献編集

史記』巻49