孫 振家(そん しんか)は中華民国政治家北京政府直隷派に属する。保芝

孫振家
プロフィール
出生: 1858年咸豊8年) 
死去: 不詳
出身地: 山東省臨清州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 孫振家
簡体字 孙振家
拼音 Sūn Zhènjiā
和名表記: そん しんか
発音転記: スン ジェンジア
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事跡 編集

1913年民国2年)、北京政府農商部に就職する。1915年(民国4年)、直隷派湖北軍務幇弁・王占元の秘書となり、あわせて湖北官報局局長に就任した。

翌年1月、王占元が湖北督軍に昇進し、引き続き孫振家もその下にあった。1918年(民国7年)4月、署理湖北省荊南道尹となり、翌年7月、正式に同職に就任している。1920年(民国9年)8月、湖北省省長に昇格した。さらに翌月、北京政府中央に召還され、京兆尹兼畿輔賑務督弁に抜擢される。1922年(民国11年)5月、山東省賑務会弁に転じた。1925年(民国14年)、北京政府財政討論会委員に任ぜられている。

以後、孫振家の行方は不詳である。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
王瑚
京兆尹
1920年9月 - 1922年5月
次代
劉夢庚