宇治王(うじおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族。名は宇遅王とも記される。官位従五位下中務大輔

経歴 編集

天平9年(737年従五位下直叙され、内蔵頭に任ぜられる。翌天平10年(738年)閏7月に刑部大輔、12月に中務大輔と、短期間に官職を転々とした。

山背国の路上で平城京の下毛野寺の僧侶諦鏡らが無礼を働いたとして、暴行を加えて打ち払ったことから、直後に仏罰を受けて病死した[1]。その後、王は呪い殺されたとして、王の遺族が諦鏡に対して報復したい旨を聖武天皇に願い出たが、天皇は許可しなかったという説話がある[2]

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “宇治王(うじおう)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年11月19日閲覧。
  2. ^ 『日本霊異記』

参考文献 編集