安藤厳水

現在の高知県出身の武士、陸軍軍人

安藤 厳水(あんどう いずみ、1864年7月15日(元治元年6月12日[1])- 1935年昭和10年)1月28日[2])は、現在の高知県出身の武士陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

生涯

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1864年(元治元年)土佐国土佐郡小高坂村(高知県)の武士、安藤厳技の長男に生まれる。[要出典]

1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校(旧6期)を卒業し、同日、歩兵少尉に任じられた[2][3][4]。1904年(明治37年)3月、皇族附武官(守正王附)に就任し、1905年(明治38年)10月、歩兵第49連隊長に転じ、1906年(明治39年)12月、歩兵大佐に進んだ[5]。1910年(明治43年)11月、陸軍少将となり歩兵第5旅団長に就任[2][5]。歩兵第1旅団長を経て、1915年(大正4年)2月、陸軍中将に昇進し第5代陸軍第13師団長となり1918年(大正7年)7月まで在任した[2][5]。待命となり、1919年(大正8年)4月、予備役に編入[2][5]

編入後は在郷軍人会副会長、同顧問を務めた。1935年(昭和10年)没。墓所は多磨霊園

栄典

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位階
勲章

(上記3つの位、受賞年不明)

外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『人事興信録』第4版、あ14頁。
  2. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』42-43頁。
  3. ^ 『官報』第151号、明治16年12月27日。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』67、69頁。
  5. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』69頁。
  6. ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
  7. ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
  8. ^ 『官報』第8290号「叙任及辞令」1911年2月13日。
  9. ^ 『官報』第780号「敍任及辞令」1915年3月11日。
  10. ^ 『官報』第1397号「叙任及辞令」1917年3月31日。

出典

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  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)[1] ISBN 4-8169-1853-1
  • 新潟県上越市「第13師団長官舎」設置パネル(リンク)[2][3]

外部リンク

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