安部 信勝(あんべ のぶかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将今川氏徳川氏の家臣。通称は彌一郎。法名は源正。

 
安部信勝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文21年(1552年
死没 慶長5年1月2日1600年2月16日
別名 彌一郎(通称)
戒名 源正(法号)
主君 今川氏真徳川家康
氏族 安部氏
父母 父:安部元真
正室水野忠重
信盛正成天野康宗正室、富塚信綱
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生涯

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安部元真の子として誕生。

当初は父・元真と共に今川氏に仕えたが、後に徳川家康の家臣となる。天正11年(1583年)には後北条氏甲斐国本巣の砦を攻め落とし、翌天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでも戦功を挙げた。また同年6月の蟹江城合戦では、石川数正と共に前田長種が守る前田城蟹江城の支城)を攻め、長種を破った。

天正18年(1590年)、家康が関東に移封された際、武蔵国榛沢郡下野国梁田郡内の5250石の領地を賜った。

慶長5年(1600年)1月2日、大坂において49歳で死去。

系譜

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参考文献

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