宍戸 源次郎(ししど げんじろう)は、戦国時代の武将安芸国国人宍戸氏の一族。諱は家継とも。

 
宍戸源次郎
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 源二郎
主君 細川政元
氏族 藤姓宇都宮流宍戸氏
父母 父:司箭院興仙
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父の縁で細川政元に仕えたと推測される。父とは違い、政元の軍事力を支える一員としての活動が記録に見える。

永正元年(1504年)9月の薬師寺元一の反乱において、当初政元側が敗北を喫した。その際、政元の麾下にあった香西元長波多野元清と共に源次郎は薬師寺側の猛攻を押し支え、政元側の撤退を支援している。直後、大和を支配していた赤沢朝経が政元に離反して没落すると、大和国人が蜂起した。鎮圧のため細川政春らが率いる鎮圧軍を出陣させた際、先行部隊の一員として出陣した。その他の詳細は不明。

ただし、源次郎の叔父にあたる宍戸元源天文年間に毛利元就(元源の孫隆家の義父)と細川晴元の間を取り持った時に、細川氏側の窓口になった宍戸甲斐守(元綱か?)が元源の同族であると推測され、源次郎の一族がその後も細川氏に仕えていた可能性は高い[1]

脚注 編集

  1. ^ 馬部隆弘「細川晴元に対する交渉と取次」(初出:『大阪大谷大学歴史文化研究』第17号(2017年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6) 2018年、P468-470.

参考資料 編集

関連項目 編集