宜昌(ぎしょう、生没年不明)は、中国の前漢の時代の軍人である。おそらく姓が不明で「宜昌」が名である。紀元前71年司馬として匈奴の侵入に対応した。

解説編集

西北科学考察団の調査で1930年に内モンゴル自治区の破城子から出土した木簡に見える。それによれば、本始3年(紀元前71年)9月庚子、虜約90騎が甲渠止北隧に入り、卒1人を捕え、弩1、矢12、牛1、衣類多数を盗み取った。司馬の宜昌が騎兵182人を率いて都尉に従って追った、とある[1]

虜はこの場合、匈奴のこと。都尉は守備部隊の長で、ここでは居延都尉。辺境の張掖郡に複数付けられた部都尉の一人である[2]。甲渠は漢代に対匈奴の防衛拠点となった砦(侯官)の一つ。止北隧は見張り台(隧)の名前である。宜昌の官職である司馬は、中央の大将軍に直属する武官であった。

匈奴の侵入の実相を伝える貴重な資料だが、この作戦の結果がどうなったかは不明である[1]

脚注編集

  1. ^ a b 大庭脩『木簡』2頁。
  2. ^ 大庭脩『木簡』95頁。

参考文献編集

  • 大庭脩・編著『木簡 古代からのメッセージ』、大修館書店、1998年。

関連項目編集