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内モンゴル自治区(うちモンゴルじちく、モンゴル語:ᠥᠪᠦᠷ
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 転写:Öbür Moŋɣol-un öbertegen jasaqu orun、中国語:内蒙古自治区、拼音:Nèi Měnggǔ Zìzhìqū、英語:Inner Mongolia)は、中華人民共和国1947年にモンゴルの南部に設置した級の自治体。中国領土の北沿に位置する自治区内蒙古自治区(うちもうこじちく)とも。モンゴル語での名称は日本語に直訳すると「南モンゴル自治区」となる。

内モンゴル自治区
(内蒙古自治区)
ᠥᠪᠦᠷ
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略称: 内蒙古 (拼音: Nèi Měnggǔ)
内モンゴル自治区の位置
簡体字 内蒙古
繁体字 內蒙古
拼音 Nèi Měnggǔ
カタカナ転記 ネイモングー
自治区首府 フフホト市
最大都市 ウランチャブ市
区委書記 李紀恒
自治区主席 プシャオリン(布小林、ウランフの孫娘)
面積 1,183,000 km² (3位)
人口 (2017年)
 - 人口密度
2625万0000 人 (23位)
23 人/km² (28位)
GDP (2017年)
 - 一人あたり
16103億 (22位)
6万 (12位)
HDI (2018年) 0.795 () (14位)
主要民族 漢民族 - 79%
モンゴル族 - 17%
満州族 - 2%
回族 - 0.9%
ダウール族 - 0.3%
地級行政区 12 個
県級行政区 101 個
郷級行政区 1425 個
ISO 3166-2 CN-15
公式サイト
http://www.nmg.gov.cn/ ([1]; [2])

目次

地理編集

東西に長く伸びており、東から順番に黒竜江省吉林省遼寧省河北省山西省陝西省寧夏回族自治区甘粛省と南に接し、北はモンゴル国ロシア連邦と接している。面積は、日本の約3倍。

民族編集

内モンゴル自治区として地方政府トップの自治区主席などをモンゴル族が務めているものの、漢民族が人口の80%以上を占めており[1]、その他モンゴル族・ダウール族エヴェンキ族オロチョン族回族満洲民族朝鮮族などが居住している。現在ではモンゴル自由連盟党内モンゴル人民党などが内モンゴル独立運動を行っており[2]南モンゴル民主連盟en)代表のハダが拘束されるなどモンゴル民族の分離独立運動は取り締まられる[3]。また、モンゴル族の英雄であるチンギス・ハーンの肖像を踏むといった行為が民族への侮辱や差別の扇動として逮捕・刑罰の対象となる[4][5]。内モンゴル自治区内のモンゴル族は発表統計から400万人を超えているとみられ、モンゴル国の270万人(2004年)と比べても自治区内のモンゴル族の人口の方が多い。

歴史編集

50万年前から20万年前ごろの原人の化石が見つかっている。紀元前4700年から紀元前2900年にかけては紅山文化燕山山脈の北方に栄え、紀元前20世紀ごろにはオルドス人が住みつき始め、春秋戦国時代には匈奴との間で抗争が繰り広げられた。

モンゴル帝国と清朝編集

1206年に建国した大モンゴル国(後に大モンゴル帝国)のチンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルの領地となり、のちにはその子孫が支配し、モンゴル帝国帝位継承戦争でモンゴル帝国が南北に分裂した際はクビライの本拠地となった。1368年にクビライの築いた漢民族によって滅び、帰還したモンゴル人は西部のオイラート・モンゴル(現在のカザフスタン中央アジア)、ハルハ・モンゴル(現在のモンゴル国)、内モンゴルに大きく三つに分けられ、互いに権力争いを続ける。そうした中、1646年満州女真人が内モンゴルと手を結び、明を倒し、の時代が始まる。

1688年、モンゴル西部オイラート・モンゴルが作ったジュンガル王国ガルダン・ハーンが対ハルハ戦争を行い、成功したが、ハルハ・モンゴルの貴族が逃げ、1691年に清の支配を認める。ガルダン・ハーンがハルハ戦時中に甥のツェウェーン・ラウダンに王位を奪われ、後ろからの援助が止まる。1694年、事実上、最後の統一したモンゴルの王ガルダンが現在のモンゴルの中心部(現在のウランバートルのあたり)で清、ハルハ・モンゴル、内モンゴル軍の連合軍と死ぬか生きるかの戦いに出たが、圧倒的に強い連合軍に敗れ、大敗する。その後、半世紀にわたり、1755年、ハルハ・モンゴルと内モンゴルの手を借りた清がジュンガル王国を倒し1755年モンゴルが独立を失う。

辛亥革命後編集

1911年、中国では辛亥革命中華民国が成立するとともに、モンゴルが独立を宣言し、内モンゴルも合併を申し出た。1913年にモンゴル軍が内モンゴル解放戦争をはじめ、ほぼ全域から中華民国軍を追放した。しかし、帝政ロシアの介入で、この解放戦争は失敗に終わる。1915年6月7日、モンゴルの国境にあるキャフタで露・蒙・華三国の間でキャフタ協定が結ばれ、中華民国北京政府は内モンゴルと外モンゴルを自治区とした(ただし外モンゴルは広範な自治権を獲得した)。

その後、内モンゴルでは、中国に進出していた日本関東軍の援助で、皇帝愛新覚羅溥儀を元首として建国された満州国(一部が内モンゴル東部)とチャハル部出身のデムチュクドンロブ(徳王)によって1939年張家口蒙古聯合自治政府が成立した。当時総人口525万4833人のうち漢民族が9割の501万9987人に対してモンゴル族は15万4203人だった。1945年8月、ソ連対日参戦によるソビエト連邦軍(赤軍)とモンゴル人民共和国軍の侵攻に満州国と蒙古連合自治政府は崩壊する。ソ連軍とモンゴル軍は内モンゴル東部のみならず、チャハルや熱河省といった内モンゴル西部[6]にも進駐し、その影響下で内モンゴル人民共和国東モンゴル自治政府などが成立する。ソ連とモンゴルは中ソ友好同盟条約に基づいて中華民国にモンゴル独立を認めさせる代わりに内外モンゴル統一の要求を取り下げた。

内モンゴル自治区の成立編集

 
ウランフ

占領したソニド右旗を慰問で訪れたモンゴル人民共和国の指導者ホルローギーン・チョイバルサン中国共産党との連携を現地民に指示[7]してウランフが内モンゴル人民共和国の代表となってからは東モンゴル自治政府やフルンボイル地方自治政府、西蒙自治政府などが懐柔され、察哈爾省綏遠省熱河省遼北省興安省は廃止されて東西モンゴルは統一することになる。中華人民共和国が建国するとウランフの内モンゴル自治政府は内モンゴル自治区となった。中華人民共和国の自治区としては最も早い成立である。徳王は外モンゴル(モンゴル人民共和国)に亡命するもソ連が捕えていた愛新覚羅溥儀のように中国に引き渡されて内モンゴルで特赦と役職を与えられた。外モンゴルは独立の道を歩んだが、内モンゴルは中国共産党の影響があったとはいえ、同じモンゴル族同士の運動と対立の結果自治区となった。

文化大革命時の虐殺と名誉回復編集

その後ウランフは文化大革命の勃発により失脚し、1966年に起きた内モンゴル人民革命党粛清事件など文化大革命による大量虐殺の上にモンゴル人は自治権が完全に剥奪されていた。当時の内モンゴルのモンゴル人の人口約150万人ののうち、34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人が暴力を受けて障害者にされたとされ、後に犠牲者らは胡耀邦によって名誉回復された[2][8]1967年フフホトに革命委員会が成立した。中ソ対立の軍事的緊張下に1969年には内モンゴル生産建設兵団が設置され、1970年には行政区画の大幅な変更が行われた。これによって内モンゴル東部は東北三省に、西部は寧夏甘粛に分割されたが、1979年に旧に復し、ウランフも復権した。ウランフの妹婿の孔飛中国語版、息子のブヘ中国語版、孫のブ・シャオリン中国語版も内モンゴル自治区主席を務めるなど文革時代を除いてウランフの一族は内モンゴル自治区で太子党となって権勢を振っている[9]

行政区画編集

9地級市(地区クラスの市)、3盟を管轄する。下級行政区単位としては23市轄区、11県級市(県クラスの市)、17県、49旗、3自治旗がある。

内モンゴル自治区の行政区画
 
名称 中国語表記 拼音 モンゴル語
モンゴル語ローマ字
面積
(平方キロ)
人口
(2010年)
政府所在地
# 内モンゴル自治区 内蒙古自治区 Nèi Měnggǔ Zìzhìqū  
Öbür mongγol-un öbertegen zasaqu orun
1183000.00 24,706,321 フフホト市
地級市
2 バヤンノール市 巴彦淖尔市 Bāyànnào'ěr Shì   
Bayannaɣur qota
65755.47 1,669,915 臨河区
3 烏海市 乌海市 Wūhǎi Shì   
Üqai qota
1754.00 532,902 海勃湾区
4 オルドス市 鄂尔多斯市 È'ěrduōsī Shì   
Ordos qota
86881.61 1,940,653 ハイバグシュ区
5 包頭市 包头市 Bāotóu Shì   
Buɣutu qota
27768.00 2,650,364 ホンドロン区
6 フフホト市 呼和浩特市 Hūhéhàotè Shì  
Kökeqota
17186.10 2,866,615 新城区
7 ウランチャブ市 乌兰察布市 Wūlánchábù Shì   
Ulaɣančab qota
54447.72 2,143,590 集寧区
9 赤峰市 赤峰市 Chìfēng Shì   
Ulaɣanqada qota
90021.00 4,341,245 松山区
10 通遼市 通辽市 Tōngliáo Shì   
Tüŋliyou qota
59535.00 3,139,153 ホルチン区
12 フルンボイル市 呼伦贝尔市 Hūlúnbèi'ěr Shì   
Kölön Buyir qota
254003.79 2,549,278 ハイラル区
1 アルシャー盟 阿拉善盟 Ālāshàn Méng  
Alaša ayimaɣ
267574.00 231,334 アルシャー左旗
8 シリンゴル盟 锡林郭勒盟 Xīlínguōlè Méng  
Sili-yin Ɣool ayimaɣ
202580.00 1,028,022 シリンホト市
11 ヒンガン盟 兴安盟 Xīng'ān Méng  
Qiŋɣan ayimaɣ
59806.00 1,613,250 ウランホト市

経済編集

農業畜産業を主要な産業として、鉄鋼業林業などもある。主要な農作物はソバで、日本はソバの8割近くを中国から輸入しているが、生産量の3割超を占める最大の産地は内モンゴルとされる。ブドウ栽培とワイン製造を始めた地域もある。豊富な石炭天然ガスのほか、希土類(レアアース)の生産量は中国一であり、特にバヤン鉱区は世界最大の希土類元素鉱床がある。石炭は年間5億トンの産出を目指す。独立国モンゴルよりも内モンゴル自治区は経済発展を遂げている。 2009年のGDPは1420億ドルで、前年より17%伸びた。2000年代は13.2%、17.9%、20.5%、23.8%、19%、19.1%、17.2%と全国31の省・直轄市・自治区の中でも最高のGDP成長率を記録しており、他の中国都市と同じように商業施設やマンションの建設ブームとなっていた。中でもオルドス市は石炭と不動産のバブルで一人当たり域内総生産(GDP)で2007年に北京上海を超え[10]、2010年には中国全体では香港マカオと並ぶ経済力[11]となり、バブル崩壊まで「中国一豊かな都市」と呼ばれた[12]。2015年には内モンゴル自治区の一人当たりGDPは上海、北京、天津に次ぐ全国4位となった[13]。最西部に中国のミサイル開発や宇宙開発で活躍している酒泉衛星発射中心があり、内モンゴルの四子王旗は宇宙船の帰還場所でもある。また、軍需産業も少なくなく、中国戦車の基礎を築いた59式戦車など中国軍の兵器を製造してきた旧第617廠(現・内蒙古第一機械集団)があるも砂埃の激しい地域のためにエンジン類は他で作られている。風も強い地域のために風力発電容量は中国で最も多く[14]、規模は三峡ダムを超えるとされる[15]

文化編集

言語編集

 
省都・フフホトにあるKFC; 看板や道路標識は標準中国語とモンゴル文字のモンゴル語の両方で表記することが義務付けられている

中国語モンゴル語が公用語である。ただし、モンゴル国で使用されるモンゴル語と内モンゴル自治区で使用されるモンゴル語には違いがあり、前者はハルハ方言、後者はチャハル方言である。

漢族は地域により様々な方言を話す。東部では官話方言に属する東北方言を話す傾向があるが、黄河盆地一帯の中部では晋語が話されている。フフホトパオトウではそれぞれ独特の晋語方言が使われており、ハイラル区など、北東地域で話される晋語方言と互いに意思疎通が困難な場合がしばしば見受けられる。

鳳凰伝奇は内モンゴル自治区出身のアーティストである。伝統的な音楽と現代音楽を融合したメロディーが特徴。代表曲に最炫民族风がある。

交通編集

空港編集

教育編集

脚注編集

  1. ^ Andrew Jacobs (2010年12月13日). “Ethnic Mongolian Dissident Released by China Is Missing”. New York Times. 2010年12月31日閲覧。
  2. ^ a b モンゴル自由連盟党 日本支部. “モンゴル自由連盟党とは?”. モンゴル自由連盟党. 2010年12月15日閲覧。
  3. ^ 内モンゴルで服役中のハダが健康を悪化させている”. Southern Mongolian Human Rights Information Center (October 2,2004). 2010年12月30日閲覧。
  4. ^ チンギス・ハーンの画像踏みつけた19歳に実刑、その背景”. NEWSポストセブン (2018年1月3日). 2018年1月4日閲覧。
  5. ^ Chinese man jailed for stamping on Genghis Khan portrait”. BBC (2017年12月15日). 2018年1月4日閲覧。
  6. ^ 二木博史等訳・田中克彦監修「モンゴル史」2、恒文社、1988年「日本帝国主義へのモンゴル人民共和国の参加(1945年)」〔地図11〕
  7. ^ 札奇斯欽「我所知道的徳王和當時的内蒙古」(1993年)138頁
  8. ^ アジアに求められる先人の知恵産経新聞
  9. ^ Bulag, Uradyn Erden (2002). The Mongols at China's Edge: History and the Politics of National Unity. Rowman & Littlefield. pp. 213–4. ISBN 978-0-7425-1144-6. https://books.google.com/books?id=g3C2B9oXVbQC&pg=PA213. 
  10. ^ “亡霊都市”建設で当局が釈明・反論―内モンゴル・オルドス
  11. ^ 「鬼しか住まぬ」中国オルドス 石炭バブルが崩壊 日本経済新聞 2013/8/15
  12. ^ バブル崩壊「打つ手なし」-中国内モンゴル・オルドス、石炭暴落でゴーストタウンに
  13. ^ People's Daily Online -- Inner Mongolia's economy maintains a rapid growth momentum
  14. ^ 内モンゴル風力発電容量2070万キロワットで堅首
  15. ^ 中国:内モンゴルの風力発電容量、「三峡ダム」を超える規模に

関連項目編集

関連文献編集

  • (英語) ボルジギン・ムンクバト (Borjigin, Monkbat). "内モンゴル自治区における言語教育について" (Archive; "A case study of Language education in the Inner Mongolia "). 千葉大学ユーラシア言語文化論集 (Journal of Chiba University Eurasian Society) 16, 261-266, 2014-09-25. 千葉大学ユーラシア言語文化論講座 (Chiba University Eurasian Society). See profile at Chiba University Repository. See profile at CiNii. - In English with a Japanese abstract.

外部リンク編集