宣恵王(せんけいおう、生年不詳 - 紀元前312年)は、中国戦国時代君主。名は康。釐侯の子。紀元前333年、釐侯が死去すると、後を嗣いで韓侯となった。

宣恵王 韓康
侯→王
王朝
在位期間 前333年 - 前312年
姓・諱 韓康
諡号 宣恵王
没年 紀元前312年
釐侯

紀元前325年、将軍の韓挙が軍に敗れた。紀元前323年、王号を称するようになった。紀元前322年と区鼠で会合した。紀元前319年軍に鄢を攻め破られた。

紀元前317年、秦軍に修魚を攻め破られ、韓の将軍の鯁と申差が濁沢で捕らえられた。宣恵王は公仲の進言を容れて秦と和睦しようとしたが、懐王陳軫の意見により韓の救援を宣言したため、宣恵王は公仲を引き止め、秦と絶交した。このため秦は激怒してますます兵力を増強して韓を攻め、大戦となったが、楚軍は韓を救援しなかった。紀元前314年、秦軍に岸門を攻め破られた。太子倉を秦に人質に出して講和した。

紀元前312年、秦軍とともにを攻撃し、楚の将軍の屈匄を破った。宣恵王はこの年のうちに死去した。在位21年。

参考文献 編集

先代
釐侯
の君主
紀元前333年 - 紀元前312年
次代
襄王