宮原 景種(みやはら かげたね)は戦国時代から安土桃山時代の武将。島津氏家臣。宮原景益の孫。

 
宮原景種
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正12年(1515年
死没 天正15年(1587年)4月
別名 兵庫頭、筑前守(受領
主君 島津貴久義久
氏族 宮原氏
父母 父:宮原景次
娘(宮原景次室)
養子:宮原景次
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祖先は島津忠国が庶長子の友久に与力として付けた9人のうちの1人である。

生涯

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島津貴久に仕え、永禄10年(1567年)に菱刈氏攻略に参加。翌年は菱刈氏と相良氏の攻撃に際し曾木城に入城、菱刈氏、相良氏、渋谷氏連合軍の攻撃に対し、佐多久政の加勢を得てこれを守り切った。更に翌年には菱刈氏の大口城を攻める新納忠元に従い、羽月戸神尾の稲荷山に大野忠宗と共に伏兵、軍功を挙げる。

天正4年(1576年)の高原城攻略に功があり、景種は須木地頭に任じられた。天正6年(1578年)の耳川の戦いや同9年(1581年)の肥後葦北攻めにも従軍、同11年(1583年)には肥後佐敷の地頭に任命された。

天正15年(1587年)4月、豊臣秀吉九州征伐の際、肥後隈庄にて肥後国人衆に攻められ戦死した。