宮崎 彦一郎(みやざき ひこいちろう、1888年7月2日 - 1967年10月10日)は、日本の実業家。
滋賀県犬上郡東甲良村(現:甲良町)に生まれる[1]。東亜同文書院卒業後に、伊藤忠商事に入社[1]。
1955年から丸紅飯田取締役会長社長を務めた[2]。その一方で、神戸商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、ラジオ関西会長、神戸高速鉄道社長なども歴任した[2]。
1964年には勲三等旭日中綬章を受章した[2]。
1967年10月10日、尿毒症のために神戸市の病院で死去[2]。79歳没。
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