宮崎 栄治(みやざき えいじ、1855年7月4日安政2年5月21日[1])- 1915年大正4年)1月25日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(8期)。

宮崎栄治

経歴

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宮崎広茂の長男として[1]肥前福江藩松浦郡福江村(長崎県南松浦郡福江村、福江町福江市を経て現五島市)に生まれる[3]1882年(明治15年)12月、家督を相続する[1]。福江藩校に入り和漢学を修めたのち上京し英学を学ぶ[3]。本業は農業を営んだ[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では長崎県第5区から出馬し当選[3]第2回総選挙では候補を大坪利晋に譲り、つづく第3回総選挙で再び衆議院議員となる[3]。その後、第4回第5回第6回第7回第8回第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算8期務めた[2]。議員在任中、第2回水産博覧会評議員[2]や予算委員[3]を務めた。

脚注

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  1. ^ a b c 人事興信所 1903, 1039頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 490頁.
  3. ^ a b c d e 山崎 1901, 511頁.

参考文献

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