宮田慶三郎
宮田 慶三郎(みやた けいざぶろう、1906年1月7日 - 1997年5月22日[1])は、日本の教育者、実業者、歯科医である。慶應義塾大学医学博士[2]。
みやた けいざぶろう 宮田 慶三郎 | |
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生誕 |
1906年1月7日 日本北海道 |
死没 | 1997年5月22日(91歳没) |
職業 | 教育者、実業家、歯科医 |
略歴
編集著書『一瞬と永遠――建学の精神の基礎にあるもの』[3]著者略歴より。
1906年1月7日に北海道で生まれる。1931年3月に大阪歯科医学専門学校を卒業し、同年12月に宮田歯科医院を開業する。1939年2月に不二鋼材工業株式会社付属研究所研究員、1940年3月に同株式会社東京工場長、1951年3月に日本放射線防御株式会社会長、それぞれに就く。1960年6月に慶應義塾大学より医学博士を授与される。1970年5月に城西歯科大学、1971年2月に岐阜歯科大学、それぞれを創立する。1974年4月に学校法人大阪歯科大学理事、1979年4月に社団法人日本私立歯科大学協会監事、それぞれに就く。
著書
編集- 『アパートのすべて』金剛出版、1964年
- 『サラリーマン革命』金剛出版、1966年
関連項目
編集出典
編集- ^ “教育後援会だより「潮風」第8号”. 明海大学浦安キャンパス教育後援会. 2020年4月25日閲覧。
- ^ 宮田慶三郎『錐体外路系伝達物質に関する実験生理学的考察』 慶應義塾大学〈医学博士 報告番号不明〉、1960年。NAID 500000421010 。
- ^ 宮田慶三郎『一瞬と永遠 : 建学の精神の基礎にあるもの』明海大学企画広報課、1990年5月 。