宿豫郡(しゅくよ-ぐん)は、中国にかつて存在した宿預郡とも書かれる。東晋から初にかけて、現在の江蘇省宿遷市一帯に設置された。

概要

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東晋の義熙年間、宿預郡が立てられた。宿預郡は北徐州に属し、郡治は宿預県に置かれた。

421年南朝宋永初2年)、北徐州が徐州と改められると、宿預郡は徐州に属すこととなった。

北魏孝文帝のとき、宿豫郡は南徐州に属した。

南朝梁が北魏から宿豫の地を奪った。梁の宿豫郡は東徐州に属した。

549年武定7年)、東魏が南朝梁から宿豫の地を奪った。東魏の宿豫郡は東楚州に属し、宿豫・新昌・臨泗・濠夷の4県を管轄した[1]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、宿豫郡は廃止されて、泗州に編入された[2]

脚注

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  1. ^ 魏書』地形志二中
  2. ^ 隋書』地理志下