富屋村

日本の栃木県河内郡にあった村

富屋村(とみやむら)は栃木県の中部、河内郡に属していたである。現在は宇都宮市の一部にあたる。

とみやむら
富屋村
廃止日 1954年11月1日
廃止理由 編入合併
富屋村豊郷村国本村城山村篠井村の一部 → 宇都宮市
現在の自治体 宇都宮市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
河内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,813
(1950年)
隣接自治体 河内郡豊郷村国本村篠井村羽黒村田原村
富屋村役場
所在地 栃木県河内郡富屋村大字徳次郎字上篠[1]

役場跡地の徳次郎1号児童公園[1]
座標 北緯36度38分41秒 東経139度50分51秒 / 北緯36.6447度 東経139.8475度 / 36.6447; 139.8475座標: 北緯36度38分41秒 東経139度50分51秒 / 北緯36.6447度 東経139.8475度 / 36.6447; 139.8475
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地理

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大字

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歴史

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沿革

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村名の由来

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裕福なに恵まれた家()が多くなり、村全体が発展するようにとの願いを込めて命名された[3]。『目で見る富屋の歴史』によれば、四書の『大学』の一節にある「を潤し、徳は身を潤す」から引用したものだという[4]。宇都宮市域には富屋村のほかにも豊郷村や瑞穂野村といった瑞祥地名が見られる[3]

行政

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  • 富屋村長
氏名 就任 退任 備考
1 小堀貞吉 1889年(明治22年)5月18日 1891年(明治24年)3月29日
2 大島録郎 1891年(明治24年)4月21日 1892年(明治25年)9月13日
3 大塚吉造 1893年(明治26年)9月26日 1897年(明治30年)9月25日
4 相馬与三郎 1897年(明治30年)9月29日 1899年(明治32年)3月30日
5 入江覚次 1899年(明治32年)4月5日 1911年(明治44年)4月10日
6 永岡房吉 1911年(明治44年)4月11日 1911年(明治44年)11月10日
7 大塚吉造 1911年(明治44年)11月14日 1915年(大正4年)5月31日
8 福田善一郎 1915年(大正4年)11月18日 1916年(大正5年)2月2日
9 杉山寅重 1916年(大正5年)2月18日 1920年(大正9年)2月17日
10 入江覚次 1920年(大正9年)4月6日 1924年(大正13年)4月5日
11 永岡孝一 1924年(大正13年)4月9日 1927年(昭和2年)8月31日
12 池田唯一 1927年(昭和2年)10月18日 1931年(昭和6年)10月17日
13 池田文吉 1932年(昭和7年)1月9日 1934年(昭和9年)2月28日
14 大房政一郎 1934年(昭和9年)3月31日 1946年(昭和21年)3月30日
15 半田孫一 1946年(昭和21年)5月2日 1947年(昭和22年)3月15日
16 高橋栄 1947年(昭和22年)4月5日 1954年(昭和29年)10月31日

出典:『栃木県町村合併誌 第三巻上』, p. 184-185

役場は中徳次郎の小字東宅地に置かれた後、1901年(明治34年)に徳次郎の上篠へ移転し、合併まで同地にあった[1]。役場の跡地は、徳次郎1号児童公園になった[1]

学校

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交通

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参考文献

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  • 『栃木県町村合併誌 第三巻上』 栃木県、1956年3月。
  • 塙静夫『うつのみやの地名と歴史散歩』下野新聞社、2015年9月11日、263頁。ISBN 978-4-88286-594-0 
  • 富屋史研究会 編『目で見る富屋の歴史』宇都宮市立富屋公民館、1997年9月30日、37頁。 全国書誌番号:97069828

脚注

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  1. ^ a b c d 富屋地区健康づくり推進協議会. “富屋地区ウォーキングコース”. 宇都宮市保健所健康増進課. 2023年3月21日閲覧。
  2. ^ 不思議な地名「徳次郎」何と読む? 「その読みは違う」の声 難読に変更の動き
  3. ^ a b 塙 2015, p. 122.
  4. ^ 富屋史研究会 編 1997, p. 23.

関連項目

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